2011/09/03

人生こぼれ話 (5) 少年時代 ④

人生色々こぼれ話(5)
少年時代④

前号で早世した兄のことに少し触れたが、私を含め3兄弟は、激動の80年程を生き抜いて皆元気で今もそれなりに活躍している。弟達を簡略にご紹介します。


上の弟の正雄はかってNHKスポーツアナウンサーとしてその名を馳せた。相撲以外の殆んどのジャンルをこなした。オリンピック実況11回の実績を持ち1987年には『全米スポーツキャスター協会賞』の特別賞を日本のスポーツアナウンサーとして始めて受賞し殿堂入りを果たした。現在も民放、講演、著述などで活躍している。「日本プロゴルフ協会」の名誉顧問に寓されているが、72歳の折にエージシュートを記録している。趣味はゴルフ(HC8)とカラオケ(プロ級)。慕われている後輩は草野仁さん。


下の弟の道夫は舞台芸術学院を卒業し俳優、声優、ナレーターを職業とするが吹き替の外国映画は数え切れない。
シルベスター・スタローン、ディーン・マーティン、スティブ・マーティン、ピーター・セラーズ、マイケル・ケリン、レスリー・ニールセンなど多くのの持ち役を持つ。2008年第2回声優アワード功労賞を得ている。 芸域の広さ、声の使い分けなどから”困った時の羽佐間“との異名を取っている。趣味はゴルフ。後継は山寺宏一さん。


少年時代はこの二人の弟は大半を大牟田の名門校第二小学校に通学した。私は隣町の荒尾第三小学校であるが、坊主刈りに詰め襟:坊ちゃん刈に開襟の差があった。私も都会風の洒落た大牟田第二校に憧れを抱いていたが、高学年になるにつけ友達との触れ合いも絶ちがたく何よりも担任のH先生との別れが辛く父の転勤(万田坑→三池坑)があっても荒尾第三校に留まり汽車通学をした。


大牟田に越してからの楽しみは映画館が近いことである。多くは栄町という繁華街に固まっていたが、中に入らなくても上原謙、佐分利信、田中絹代、桑野通子、高峰三枝子などの刺激的な看板や写真を眺めているだけで、胸が焦がれた。勿論、燃える大空(大日向傳)、西住戦車長(上原謙)、土と兵隊(小杉勇)などの戦争映画は少年の心を揺さぶった。可なり離れたところにある五月橋(名前は良いけど川は染料の匂いで臭かった)のほとりにある大都館という映画館まで看板見物に出かけていた。


駅前に「やまだや」という本屋兼おもちゃ屋があり、ここで「少年倶楽部」や「のらくろ漫画」を買うのも恒例であった。この店の息子H君(同年齢)は当時見知らぬ仲であったが後年早稲田を出て三井物産に勤務し、仕事の関係でたびたび交流があった。この年(小5年)多分母の薦めだろうと思うけどこの店で立派な日記帳を買った。
相当ぼろぼろになっているが、不思議なことにこれが現存する。直ぐに飽きて日記は中断しているが、骨董品並みに蔵王(別荘)の奥深くしまいこんである。


1940年(昭和15年)は日本の紀元2600年にあたり、戦意高揚の意味もあって11月11日に国を挙げての盛大な式典があった。私たちも父兄共々学校に集まり神国日本の国威発揚とばかり恭しく勅語を聞き、万歳を唱え、2600年の歌を歌いながら提灯行列をした。

♪金鵄(きんし)輝く日本の 栄えある光 身に受けて 今こそ祝えこの朝(あした)
 紀元は2600年 ああ一億の胸は鳴る♪

ところが誰が作るのか替え歌が世に出てこの方が直ぐに普及してしまう。

♪金鵄上がって十五銭、栄えある光三十銭 今こそ上がるタバコの値 
紀元は2600年 ああ一億の金は減る♪

小学生がこぞってタバコの歌を歌うのもおかしなものだが、物価高騰の世相を風刺したものである。(ちなみに調べてみると 当時白米は10kg3円26銭、入浴7銭、もりそば15銭、ビール1本40銭、牛乳一本九銭である)


この年10銭のアルミ貨が世に出て学校の流れる用水に浮かべて競わせていたのを覚えている。男の子の遊びはコマ回し、ビー玉、メンコ、凧揚げ、ヨーヨー、縄跳びなど仲間と一緒だが、今の子供たちも引きこもりのゲームから少し離れてみてはと思う。

運動会の花形は競争(かけっこ)と騎馬戦で、下に敷くござ、むしろがビニールに変わったけど朝早くからの場所取り、楽しみだったお弁当等その景色はさして今と変わりない。

私は4年からバレー部に入った。5年の頃は身長を生かして前衛のセンターかレフトがポジションであった。春、秋に大会があるので猛特訓が続き日没の後、へとへとになって家路につく日も少なくなかった。白玉(私のあだ名)も日焼けして黒玉になった。30校くらいのエントリーだがトーナメント方式で勝ち上がり3位になったのがベストであった。

日本の伝統的な言葉遊びの「しりとり」も子供達の間で流行った。今でも覚えているが皆の間に根着いた面白い一節がある。自然に出来たものか、誰かが創作したものか定かではないが、最初は子供らしく単純だが、後に行くほど叙事的な言い回しになっているのが面白い。

“すずめ、めじろ、ロシヤ、やばんこく、クロポトキン、きんのたま、負けて逃げるはチャンチャン帽、棒でころすは犬殺し、尻の割れ目は十文字、爺さんの頭ははげ頭、饅頭の中に餡いっちょ、朝鮮征伐秀吉はわらじのもとに出世す“ すずめ、めじろ・・・・・・と元に戻って続くので12ワードながらエンドレスである。


夜寝付けないで繰り返し唱えているとやがて飽きてきていつの間にかすやすやのおまじないでもあった。

皆さんがやると、興奮してかえって眠れなくなるかも知れません。お試しを。今では禁制の単語も入っているが当時の世相を表していて面白い。
                                   以上