2011/03/24

買溜め狂騒の終焉

本日23日、運動を兼ねて久しぶりに駅近くのヨーカ堂に行って見ました。ないものは無いほどで棚も満杯でした。お米は各ブランドが積み上げられているものの誰もキャスターに取込む人は居ません。
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。

出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。

この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。

さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。

これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。



毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。

この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。

「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。

29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。

5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
                        3月23日記   
                                 英二

2011/03/16

鎮魂の海

三陸の海はこよなく美しく詩情に満ちています。白砂の海辺、切立つ断崖、何処までも続く松原、浮かぶ島影、そして港々の風情など、限りなく旅情を誘います。私は中でも石巻、牡鹿半島、志津川(南三陸町)気仙沼、陸前高田あたりの入り組んだ小さな湾の風光が好きです。幾度訪れても自然の織り成すモチーフに見飽きることがありません。

2011年3月11日、その日この穏やかな海は荒れ狂い、怒涛逆巻く濁流の中に平和な町と人々の暮らしを沈めて浚ったのです。私は日々伝えられる信じがたい惨状を見ながら、なんとも言えない喪失感に襲われています。余りにも無情苛酷な天災に何故?どうしてこの海が・・・と天を仰ぎ絶句しました。

津波は明るい町を押し流し、尊い人命を翻弄するように奪い、明日の希望までも消し去りました。余りにも重く辛い現実です。営々として築いた人々の軌跡と営みを瞬時にして壊滅してしまいました。私は廃墟のような惨状を見ながら何故か1945年、東京大空襲のそれと重ねていました。嘗め尽くす火の海に街は焦土と化し、青山当たりに従兄弟達の遺体を捜していた私を思い浮かべました。然し戦争は敗色濃い中で本土決戦を覚悟し、竹槍でも国の大事に殉じようとの悲壮な身構えがありました。この東北震災は、何のプロセスもなく人々の平和な営みを瞬時にして無残な地獄絵図に変えてしまいました。


何処まで災害規模が広がるのかはかり知れません。原発神話も脆くも崩れ去り世界に大きなショックを与えています。原子力政策の岐路ともいえます。経済的損失も30兆円超に及ぶかといわれています。

避難生活はやがて精神的、肉体的限界に来ます。地域の自治体が崩壊しているので、国や、健全な自治体が協力して、被災地別の援助MAPを作り積極的に対応すべきです。このようなときこそ霞ヶ関の賢いエリート達の出番でしょう。当面は生活物資の供給に全力を挙げるべきです。例えば孤立している南相馬町の叫びは何とも悲痛なものです。


世界の見る目は日本人の沈着冷静さへの驚嘆のようですが、耐えて待つ消極性の裏返しかも知れません。一方都会の人が買いだめに走り、わが身を守るのは生活の知恵としてある程度は理解できたとしても、被災地への補給に影響を与えることはあってはならないことです。後で処理に困るほど備蓄するのはナンセンスです。何処に行っても何もない現状は明らかに行きすぎです。

これは「天罰」だといった某知事の暴言は、取り消しようはないでしょう。本性見えたりです。このような知事に被災地への真の思いやりなどあるはずがないと思えます。100億の義援金もさることながら、松戸市のような心の通う暖かい対応こそが必要なのではないでしょうか。


私にも宮城には知人が数多くいて、まだ多くは安否確認が出来ません。その中で石巻に住む甥の家内の実家4名の一人が確認できたとの朗報が昨日もたらされました。 然し残る3名はまだ不明で不安は続きます。仙台市、村田町からは[一人づつ喜びの声が届きました。

つい1週間前の三陸の町や港はもう再び元の姿をとり戻すことはありません。この大震災は日本の歴史や明日の展望を変えてしまいました。

私事ですが2月下旬に開いたあの賑やかで華やいだ「夫婦展」がとても昔にあった出来事ように思い出されます。

美しい石巻湾、女川湾、志津川湾は元の静かな遠望を取り戻していることでしょう。どうか鎮魂の海となって、多くの犠牲者を葬い、復興の郷土を見守って下さい。
  
                         2011年3月16日記

2011/03/06

「水と油の夫婦展」顛末記

 2011年2月21日~27日 関内の「ガレリアセルテ」で開いた羽佐間英二・勝子の絵画展はお蔭様で予想を上回る盛況のうちに無事閉幕しました。来場者は1073名を数え画廊新記録となったようです。水彩の英二、油彩の勝子で「水と油の夫婦展」とネーミングしたのがユニークで洒落ているという前評判が立ち、興味をそそられた方が多かったようです。

新聞記事などの情報でお見えになった方が大勢居られました。

久しくお会いしていなかった昔の方々とも再会することが出来ました。期せずして絵を通しての触れ合いの場が広がりました。

計画して良かった。長いプロセスの苦労が報われたというのが偽らざる心境です。



私は昨年7月、10年ぶりにイギリスのコッツウォルズへ旅スケッチに出かけました。

20人のグループでの12日間の夢のように優雅な日々でした。この旅も絵画展のための大きなプロセスでした。時の流れを感じさせない田舎町の佇まいは懐かしく、思い出と重なり郷愁を誘うものでした。

この旅スケッチの作品は水彩17点の出展に及びましたがお蔭様で好評を博しすべて他家のご所蔵となりました。 ハニーカラーの家並みや石垣など暖色系の色合いと、澄み切った空気感の表現が評価いただけたようです。 暗い世相の中、暖かな和みとほのかな癒しを感じ取って頂いたのかもしれません。

妻勝子もコッツウォルズ風景を好んで出品しましたが評判を頂いたようです。

私たち夫婦にとっては再びめぐり来ないであろう「世紀の祭典」が終わり、今は心地よい疲れと、達成感の中で祭りの後始末をしています。



アルバムの表紙をクリックすると、絵画展の様子、全作品が見られます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この絵画展にあわせて、初めて水彩画集を作りました。絵画展に平行しての制作でしたので、編集や校正など大変でしたが、何とか絵画展の初日の発刊に間に合わせることが出来ました。67ページの中型の本ですが、この5年ほどの作品の集大成としてほぼ満足できる内容になったと思っています。巻末に私の水彩画暦と小さなエッセイを紹介しました。 ¥2000のプライシングも適切だったようで絵画展会場でも多くの方にお求め頂きました。 水彩グループの教本にも使えるとの有難いコメントも頂きました。



私は自身の主宰する「みずき会」という水彩風景画教室を持っています。このメンバーの皆さんの全面的な協力を得て絵画展の運営が出来ました。長女の美知もこのときとばかりほぼ連日サポートしてくれました。

「みずき会」はこの4月11日(月)~17日(日)の日程で、山下公園前の「県民ホール」の画廊で第3回の絵画展を開きます。23名の個性溢れる力作が展示されます。

私も小さな作品を賛助出品する予定です。

お時間がありましたらこの絵画展もどうぞご高覧ください。

                                    以上