2012/08/19

人生色々こぼれ話(19) イギリス旅スケッチ行状記 ①

人生色々こぼれ話(19)
イギリス旅スケッチ行状記 

2012630日から79日まで810日の「羽佐間英二と行くイギリス旅スケッチ」
に出かけました。



私にとっては丁度10回目のイギリス訪問の旅です。とりわけ1994年から6年間は続けての訪英でしたが、私が本格的に水彩画を描いてみようと思ったのはこの時期の貴重な
体験があったからです。まだ在勤中でしたが、いない間の体制を整えて迷惑がかからないようにして出かけました。周囲は半ば諦め顔で「羽佐間は風流人」というキャッチフレーズがついていました。



私が現在、曲がりなりにも水彩画で幾つかのクラブに属し、自分でも水彩風景画教室「みずき会」を主宰できているのもすべてその源泉はイギリスの美しい田園風景や中世の村に発しています。
当時コッツウオルズを好んで描いていた「安野 光雅画伯」の影響も少なくありませんでした。彼の描いた場所はことごとく訪ねました。


今年はその「みずき会」の皆さんだけの15人の一行でいわば同窓の修学旅行みたいなものです。






例によって計画は1年前から始まり、周到を極めました。旅行社の「ワールド・ブリッジ」の栃木さんはとうとう昨年11月にホテルや周辺の検証旅行に出かけました。
最初の4 はストラウドという町の郊外に位置する「ミンチンハンプトン」という村はずれにあるマナーハウス調の古色溢れる静か過ぎるほどの宿でした。「バーレイコー ト」というホテルですが宿の正面は遥かに丘が広がり「ザ・コッツウォルズ」ともいえるランドスケープに目を奪われました。庭にテーブルや椅子がありそこに 安らぎながら近景を描くのも悪くありません。





ここをベースに出かける「ノーントン」と「コルン・セント・オールドウインズ」という小さな村への1日スケッチが無情にも2日間とも雨のため流れてしまったのはどうしても悔いが残ります。
然し現場で時間を掛けて数多くの風景写真をゲットできたのは、アトリエ制作の楽しみが増え長い目で見れば得したかな・・・と辻褄あわせをしています。


実は私にとって「ノーントン村」は199910月に行ってスケッチをしたスポットであり
大きな樫の木が象徴的で帰国後30号に制作した忘れがたい場所です。この巨木の威容はもとより、枝葉を揺す風の音も水の流れすらあの時と何も変わっていません。
私は声を失い暫し佇んでいました。時は流れ私も齢を重ねましたが、この風景はあの日
あの時のままでした。


雨の日のスケッチは、遺跡みたいな中世の市場跡(マーケット プレース)やあずまや風の建物からその周辺の風景や家並みを描きました。このアイディアは大当たりで雨の日も
皆でお喋りをしながら写生を楽しむことが出来ました。




最初のホテルは山の中のクラシックな「バーレイコート」、次の宿泊地は賑やかな「バース」の中心から少し離れた「バース スパ ホテル」ですがこれはモダンな五つ星で確かにアップグレードの感じです。それぞれ4泊づつでそこを拠点に貸し切りバスや、徒歩でスケッチに向かうという、さながら殿様、お姫様旅行です。確かにそれらしい雰囲気?のご一行でした。


さて10日間も旅をすると非日常的な珍景、奇談が生まれます。


「バー レイコート」では私の部屋は別館にありスイートルームという振れこみで大いに期待したのですが、すごいのはトイレ、浴室で、ダンスが出来るほどの大きさで す。便器が隅にちょこんとあって掴みどころがないというのはこのことか、何処を眺めて何をしてよいのか定まらない環境です。
何しろ広いので臭気発生の後は、菜食から肉食に転向した事情も重なりその充満度は比類なきもので暫時使用は不可となります。



部屋は超段差で何度ガクンとなったことか。風呂は適温に恵まれず、熱湯、冷水の冷浴となりました。おかげでふやけたり縮んだりでお風呂上りの快適性はありません。バスローブで寛ぐゆとりもないのです。
幹事会で明日の打ち合わせなどをするのですが、段差のため上段、下段で寝台車みたいなレイアウトとなり正に上段(冗談)じゃないといったところ。


ベッドは私のは立派なダブル、パートナーのKさんは箱の上にマットを載せただけの即製のもの。まるで主人と召し使いの差です。おかげで私はすやすやと寝て寝言を言うのだそうです。「Kさん何しているの!そこは早く色をつけて。ダメそんな筆使いでは・・・」
おかげで彼は「はい先生わかりました」と寝言に返事する始末だったと言います。











2日目はスケッチ日和でしたがホテルと現場の間の急坂を下りたり上がったりで結構疲れました。


が描いていた家から老紳士が正装で出てきて「良かったらランチを差し上げたい」と云います。最初は「ランチが欲しい」と聞き間違えて「弁当は持っていな い」というと「それならますます家に来て食べろ」と変な会話となりました。「弁当はホテルに行くと用意してあるので」といって「Nothank you でそこを辞するのですが、「ちょっと待て、君は何処に住んでいる?」「横浜です」「それなら福島に近いはずだから、英国からのエールを届けてくれ」ときま した。それから暫くはお説教が続きます。要はどんな不幸な時でも見捨てる神はない。ということ。「分かりました。被災者に友人がいるので必ず伝えます。お 気持ち感謝します」というと「良い絵を描き給え」といってローバーのミニに乗って立ち去りました。
日曜なので正装で礼拝に行ったに違いありません。1時間もして帰ってきて「まだ描いているのか。テイーをどうぞ・・・」ときたら避けられないので場所替えをすることとしました。


驚くべきことにこの村に日本人が15人も来るのは歴史的な出来事らしく、既にニュース
として村中にくまなく伝わっている様子でした。皆愛想が良く親切でした。もともとホテルに日本人が泊まったことが無いという栃木さんの話だったので、当初われわれもここに
滞在することを躊躇した経緯があります。



先方は先方で15人も来て4泊も滞在して絵を描くという旅のスタイルが理解できず、そもそも何者達かと訝ったようで説明して理解させるのが大変だったそうです。
日本=津波=原発=福島の短絡した知識だったのでしょう。大変な国情なのに良くもまあ呑気に絵などを描いていられるものか、と不可解だったのかもしれません。


それでも車を止めて窓から覗きながらグレート!ファンタスティツク!などとエールを発する人もいて私たちは絵を描く平和なグループとしていつの間にかこの村に溶け込んでいったのかもしれません。




前述のなつかしの村「ノーントン」に出かけた日はホテルでの夕食だけでは飽きるので「チェルトナム」という町の人気のタイ料理屋に出かけてみましたが辛くもなく甘くもなく何とも手応えのない味付けで、ただボリュームで勝負の無国籍料理でした。30号の淡彩画を鑑賞している感じでメリハリに欠け手応えがないのです。


りがまた大変。バスの運転手が勤務交代となり、この人が道に疎く迷いに迷ってなかなかホテルにたどり着きません。左か右かとこっちに聞かれても分かるわけ ないでしょう。田舎の一軒屋で道を聞いたもののそれからも迷路をたどり、タイヤは岩に乗り上げ、屋根を樹にこすりつけながらの傷だらけのご帰還となりまし た。


おかげで雨に煙る美しい「ノーントン」の景色がすっかり壊れてしまいました。
これでは日本人の観光客はこないところだなと納得しました。ここは「ブロードウエイ」や「ボートン オンザ ウオーター」とは似て非なるコッツウォルズの超田舎なのです。



どんなに素敵な絵になる村でもトイレがないのは当たり前です。トイレを借りるためにパブのある近くの村で昼食をとる方法は正解でした。どのパブでもビールの小瓶にスープ、サラダ、パイ、サンドウイッチなど素朴で美味しく楽しめました。



お世話になった「バーレイコート」を去る日も雨模様でした。メモリアルノートに感謝の言葉を書き記して別れを告げ一転して華やかなバースへと旅は続きます。   以上       


 

(洋輔さんのドファララ門で大いに横道にそれましたが、今度は時差ぼけの直ったところで今 話題の国、イギリス帰りの出来たての話です。
今年は天候不安定で、スケッチには苦労しましたが、同行の皆さんは思い出に残る素晴らしい旅だったと好評で私もほっとしています。)