人生色々こぼれ話(26)
絵の迷い道②
私の主宰する水彩画教室「みずき会」が創立10周年を迎えかねてより企画していた記念絵画展が3月18日~24日に盛大に開催された。出展者27名、会場は新設のみなとみらい駅のサブウエイギャラリーM」、ご来場者960余名、先生クラスは19名、最終日はサプライズつき(私の小品3点が抽選で当たる)の懇親会で大盛り上がりであった。
イッツ ハザマ ワールド! どれが先生の絵か区別がつかない! との声が聞かれた。私はこうした評価を聞くと内心はほくそ笑む気持ちになる。それこそが私の真の狙いだからである。私は私自身の絵しか教えることが出来ないし、皆さんの絵が私に近づきそれを超えてもらうこととこそ自己評価に繋がるのだと思っている。
皆さんがみずき会に入ってくるのは、「私のような絵が描きたいから」というのが第一の動機である。確かにそうなのだが、印で押したように同じ絵が描けるわけがないし、個性があり感性が違うからこそ絵は面白いのだ。
私がやれるのは理論や技法の伝授と体験した私なりのノウハウを包み隠すことなく会員に公開することである。
“絵は盗むもの、混色は企業秘密”とか言って、自分のお弟子さんに端的に教えない講師もいる。画評のときコメントが出て来て“それなら何故描いているときに言ってくれないのだろう”という疑問は私自身が、先生について水彩の勉強をしていた時代に痛感したことである。
或る先生に聞いたら“あまり教えるとストックがなくなるから、自分を超える人が出てくるから”と実感をもらした人がいた。確かにこのスタンスを取っていれば上昇志向の生徒は離脱し、ニューカマーが入ってきて、ローテーションが早くなる。先生は入門者にイロハだけをアドバイスしていればよいことになる。ベテランの育成というコンセプトが先生自身にないので自分でブラッシュアップするか、離脱するしかないことになる。
私は私塾的な教室では、メンバーのコミュニケーションが大事だと思っている。チャーチル会のように「友情に厚いこと」「分派をつくらないこと」「既婚者との会員間恋愛をしないこと」などと教条的なことは言うつもりはないが、非日常的な交流の時間を大事しているつもりである。
ティータイム、飲み会、旅スケッチ会、打ち上げ会、忘年会などなど。そしてやはり集大成は展覧会につきる。展覧会は最近どの会でも開いているが、相談会や画集発刊をしている会はそんなにないと思う。
画集は毎年発刊し今回で5回目であるがみずきの自慢行事の一つだと思う。別に公開しているわけではないものの、潜在的に人気が出てきているようである。思い出のアルバムとしてだけでなく、副教本的なメリッとがあり、替えがたい宝物です。といってくれる会員もいる。
幹事長の山中さんとのコラボでやっているのだが、彼の絵の編集努力は尋常なものではない。私も丁寧に、慎重に会期中からコメントつくりに励む。画集発行が終わると一段落し2ヶ月後に迫るチャーチル会の制作に入るのがこの時期のパターンとなっている。
みずき会はほんのちょっとしたきっかけから生まれた。2003年10月のチャーチル会展の会場で私の出品作に対して「こんな作品を描いて見たい。教えていただけないか」と3人ほどの女性から熱心なオファーがあった。固辞したものの最終的にはトライアルにやってみようということで山手通りでの5人程での教室が始まった。横浜山手のイニシャルをとりYY会と称しての第2、第4水曜日を写生会としての発足であった。
やがて木曜日を例会としたYS会という姉妹クラスがスタートし、いつしか二つの会が統合、みずき会として再発足し今日に至っている。
現在27名(男子5名、女性22名)の構成であるが、私はあくまでアマチユアの水彩画家であり年齢的な限界もあるのでこれ以上の拡大は願っていない。やむを得ない事情で多少のローテーションがあっても現状を安定的に維持したいと思う。
今年は個々の会員と絵のテーマ(課題)を決めてブラッシュアップをしたいと思っている。
これまでほぼ400回の写生現場をこなしてきたが、皆勤であるのが唯一の誇りかもしれない。学校、社会人として、しかも今よりも若い頃に出来なかったことが、「みずき会」という場で為しえていることは、好きなことを無駄なストレスなくやれていることからだと思う。
展覧会でもこれまでのところ毎日会場に顔を出すことにしている。大体終日立って過ごすので足は棒のようになり、夜はつったりしている。しかし朝になると心は展覧会場に飛んでいるのだ。
或る画廊のマネジャーから“他の先生は時に顔を出してすぐ帰りますよ“と言われたけど私もそれに習わねばと思ったことはない。 もしそのような事態が訪れたら私は指導者として資格を失う時だと思っている。
最近私が大いに影響を受けたアメリカの女流水彩画家「マリリン シマンドル」は“すべてはデザインすることから始まる“という。”デザインとは明暗の度合い、線、色彩、とりわけ形についてそれを構成し絵画的な要素を配置することをいう“とし彼女は「調和」「リズム」「単純」こそが水彩画の本質だといっている。
“難しいことをやさしく、やさしいことを深く”といっている井上ひさしの名言と合わせてみると絵を描く心の何かかが分かってくるように感じとれるのだ。
私はみずき会の皆さんに“写実は自然の模倣ではない。見えるものを描かないという目で見てみよう。何を描くかではなく何を描かないか“という観点が大事と説いている。これは私自身の座右
銘でもある。
さて余興を紹介します。
これは私の知っている方が多く所属する或る大きな展覧会の壁に張り出されていたお絵描き川柳である。いちいち当てはまっていて絵よりもこちらを見ている人が目に付いた。。
拝借して10句掲載する。
・ 紙一流 絵具ニ流で 絵は三流
・ 四季通し 緑はみんな 同じ色
・ 上り坂 下り坂とて 同じ絵に
・ 目線だと 目線はいつも 若い娘へ
・ 消失点 加齢のせいで 見えません
・ あら上手あら綺麗 お世辞飛び交う 展覧会
・ 絵を描かぬ 人を選んで 案内状
・ 今解る “優”じゃなかった 図画の点
・ 色使い 色恋よりも 難しき
・ 義理があり どうせ暇だし 観にきたの
笑いを誘う そして誰もが心当たりのある思いや嘆きが詠まれている。
次は私が作った替え歌である。神楽坂はん子の歌う「ゲイシャワルツ」のメロディーで口ずさんで下さい。羽佐間英二作詞、古賀政男作曲となる。題は「みずきワルツ」です。
1、 貴方のリードで 絵筆もゆれる
遠近法の 悩ましさ
乱れる目線も はずかしうれし
みずきワルツは 思いでワルツ
2、空には三日月 お絵描き帰り
心は重たい 荷も重い
描かなきゃよかった 今日の私
これが苦労の はじめでしょうか
3 描くのはあきらめ 帰った夜は
にじむ涙の ぼかし雨
遠く泣いてる 港の霧笛
修行の辛さが身にしみるのよ
みずき会員であった故矢島敦夫さんは人格豊かな風流人でいつも皆に慕われていた。
「ニューグランドホテル」を描いて「名門の佇まい」と題した絵を残し、2年前に卒然と旅立った。絵こそわが命と言っていた。
「みずきの日よいつまでも」は「みずきの人よさようなら」に変じて・・・・・。
♪雨の馬車道 夜霧の山手
今もこの目に やさしく浮かぶ
君はどうしているだろか
ああ みずきの灯よ いつまでも
と宴会の度に歌ってくれたことを今でも思い出し、目頭が熱くなる。 以上