2011/11/14

人生色々こぼれ話(10) 終戦

人生色々こぼれ話(10)
終戦

20年3月10日にB29、110機による東京の下町を焼き尽くす大空襲があり、10万人が殉じた。4月には米軍が沖縄本島に上陸した。

5月25日には東京山手地域への猛爆が続いた。私たちは当時高輪の本家に住んでいたが、五反田方面からの火の手が迫り、遂にその時が来たと観念した。従兄のSは家が焼失しても「世界文学全集」を残したいというので、これを持ち出す作業が大変だった。何しろ重いので10冊も抱え込み階段を下りて外に持ち運ぶのだが、100冊以上もあってとても間に合わない。とうとう最後は3Fの窓から下に放り出すこととなった。

1時間ほどの焼夷弾爆撃を受けて、あたりは火の海となりもはや延焼は免れないと思った。然しやがて風向きが変わり、懸命の消火活動も奏功し高台の一角だけが奇跡的に焼け残った。これも強運この上ないことである。

青山に住む叔父(母の弟)の一家は、家を守り最後に墓地に逃げた叔父と長男は幸運にも助かったが、早めに逃げた叔母始め一家6人が表参道の路上で犠牲になった。 翌日弟達が探しに行き重なり合う黒焦げの遺体をそれと確認した。焼け爛れた小さな金庫が印しだった。

現在の港区、品川区、渋谷区、新宿区の辺りが焦土と化した。遺体の燃える凄惨な現場の映像は打ち払っても尚脳裏をよぎることがある。親や兄弟を失つたであろう少女が泣きじゃくりながら焼け跡に佇んでいた光景を忘れることはない。


世界のどこかで、今尚戦争やテロが繰り返されているが、平和ボケと呼ばれても日本は素晴らしい国土だと思える。



5月の空襲で動員先の五反田にある広大な電気試験所も焼失した。一時学校に戻り次の動員先の命令を待つ身となった。そして今度は福生にある陸軍の飛行基地に決まった。

7月始めの或る日11時に青梅線福生駅に集合せよ、とだけの指示である。何をするのかも分からずに私たちは戦場に駆りたてられる様な気持ちで家や家族と離れた。帰れないかもしれないとすら思った。飛行場なので「グラマンF4F」など艦載機の襲撃が激しいに違いないと思った。

仕事は畑つくりが主たるものであった。サツマイモを栽培し航空機燃料のアルコールを採取するという。(いわば芋焼酎で飛行機が飛ばせるのだろうか?)それに宿舎の清掃、防空壕の整備、軍機の清掃、敵機爆撃跡の穴埋め、といったものである。とにかく朝から晩までの労働である。くたくたになり粗末なベッドに寝ると今度は南京虫の襲来である。ひっきりなしの波状攻撃に辟易する。


予想したように、昼間は艦載機が飛来する。敵兵の顔が見えるほどの低空での爆撃、機銃掃射でとにかく近くの防空壕にすばやく潜りこみ身の安全を図るしかない。迎撃する戦力が無いので、敵の思うままである。整備中の戦闘機が爆破、炎上される。機関銃で迎え撃つものの敵機に命中した試しはない。粉みじんに飛ばされて戦死する兵もいた。

口には出せないけどいよいよ日本は敗けるのではと思った。それでも「荒鷲の歌」「勝利の日まで」などの歌で鼓舞し、耐える日々が続く。中学に入学した頃の希望に燃えた赤き心は色あせていた。



♪嫌じゃありませんか軍隊は、かねの茶碗にかねの箸、仏様でもあるまいに、一膳めしとは情けなや♪と厭戦歌の通り、大豆入りの飯に、味気のないおかずでは元気は出ない。早く帰りたいとの想いが募る。

正雄は動員対象ではないが、学校に通っているだろうか。道夫は長野県に集団疎開をしているけど元気でいるだろうか。母の日々の暮らしぶりはどうか。など寝ながら思いを巡らせることもしばしばであった。

昭和20年8月に広島、長崎に相次いで原爆投下、そして8月15日、歴史に幕を閉じるその日がきた。

師団長以下整列し正午に終戦の詔勅を恭しく聞いた。玉音の中身はともかく、日本は無条件に敗れた。無念の涙が頬を伝わってとめどなく流れた。 やがて身の回りや宿舎を整理し、私たちは、大豆を土産に悄然と帰路についた。誇れるもの、輝けるものは何も無かった。生きていた喜びを思う心すら失っていた。


ただ真夏の陽光だけが眩しく長い影を落としていた。それは灼熱の暑い日であった。


1億総決戦だけは免れたが、汗のにじむぼろぼろの服をまとい、心空しく家路を目指したそのときから想像を絶する混乱と苦難の戦後が始まった。

残る愛機に乗り、飛び去ったまま帰還しなかった軍人がいたという。大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ、顧みはせじ!の一節を残して。


この戦争の犠牲者は戦闘員1,741千人、非戦闘員393千人の記録が残っている。 焦土と化した都市は66にのぼる。市民の頭上に降り注いだ爆撃が無差別殺戮だったかどうかを戦後問われたことはなかった。 軍事目標だけを狙ってのじゅうたん爆撃などありうるはずがない。

人間の尊厳を踏みにじり、虫けらのように尊い命を奪ってゆく戦争は、国家や民族が犯す最悪の罪であり、どこにも正義などありようがない。


以上

(丁度第十話で戦争が終わったことになります。長くお付き合い願い有難うございました。然しこれから私自身姿を変えながら生きてゆく戦後が始まります。どんな展開になるのでしょう。どんなことから書き始めたらよいのかまだ暗中模索です。じっくりと噛締めながら書いてゆきたいと思います。)