2011/03/16

鎮魂の海

三陸の海はこよなく美しく詩情に満ちています。白砂の海辺、切立つ断崖、何処までも続く松原、浮かぶ島影、そして港々の風情など、限りなく旅情を誘います。私は中でも石巻、牡鹿半島、志津川(南三陸町)気仙沼、陸前高田あたりの入り組んだ小さな湾の風光が好きです。幾度訪れても自然の織り成すモチーフに見飽きることがありません。

2011年3月11日、その日この穏やかな海は荒れ狂い、怒涛逆巻く濁流の中に平和な町と人々の暮らしを沈めて浚ったのです。私は日々伝えられる信じがたい惨状を見ながら、なんとも言えない喪失感に襲われています。余りにも無情苛酷な天災に何故?どうしてこの海が・・・と天を仰ぎ絶句しました。

津波は明るい町を押し流し、尊い人命を翻弄するように奪い、明日の希望までも消し去りました。余りにも重く辛い現実です。営々として築いた人々の軌跡と営みを瞬時にして壊滅してしまいました。私は廃墟のような惨状を見ながら何故か1945年、東京大空襲のそれと重ねていました。嘗め尽くす火の海に街は焦土と化し、青山当たりに従兄弟達の遺体を捜していた私を思い浮かべました。然し戦争は敗色濃い中で本土決戦を覚悟し、竹槍でも国の大事に殉じようとの悲壮な身構えがありました。この東北震災は、何のプロセスもなく人々の平和な営みを瞬時にして無残な地獄絵図に変えてしまいました。


何処まで災害規模が広がるのかはかり知れません。原発神話も脆くも崩れ去り世界に大きなショックを与えています。原子力政策の岐路ともいえます。経済的損失も30兆円超に及ぶかといわれています。

避難生活はやがて精神的、肉体的限界に来ます。地域の自治体が崩壊しているので、国や、健全な自治体が協力して、被災地別の援助MAPを作り積極的に対応すべきです。このようなときこそ霞ヶ関の賢いエリート達の出番でしょう。当面は生活物資の供給に全力を挙げるべきです。例えば孤立している南相馬町の叫びは何とも悲痛なものです。


世界の見る目は日本人の沈着冷静さへの驚嘆のようですが、耐えて待つ消極性の裏返しかも知れません。一方都会の人が買いだめに走り、わが身を守るのは生活の知恵としてある程度は理解できたとしても、被災地への補給に影響を与えることはあってはならないことです。後で処理に困るほど備蓄するのはナンセンスです。何処に行っても何もない現状は明らかに行きすぎです。

これは「天罰」だといった某知事の暴言は、取り消しようはないでしょう。本性見えたりです。このような知事に被災地への真の思いやりなどあるはずがないと思えます。100億の義援金もさることながら、松戸市のような心の通う暖かい対応こそが必要なのではないでしょうか。


私にも宮城には知人が数多くいて、まだ多くは安否確認が出来ません。その中で石巻に住む甥の家内の実家4名の一人が確認できたとの朗報が昨日もたらされました。 然し残る3名はまだ不明で不安は続きます。仙台市、村田町からは[一人づつ喜びの声が届きました。

つい1週間前の三陸の町や港はもう再び元の姿をとり戻すことはありません。この大震災は日本の歴史や明日の展望を変えてしまいました。

私事ですが2月下旬に開いたあの賑やかで華やいだ「夫婦展」がとても昔にあった出来事ように思い出されます。

美しい石巻湾、女川湾、志津川湾は元の静かな遠望を取り戻していることでしょう。どうか鎮魂の海となって、多くの犠牲者を葬い、復興の郷土を見守って下さい。
  
                         2011年3月16日記