2012/12/27

人生色々こぼれ話(23) 〜言葉の遊び


人生色々こぼれ話(23)
言葉の遊び
日本語は乱れに乱れて、何気なく耳に入ってくる若者の会話はどこか外国にいるようなサウンドである。時折車中で礼儀正しい女子中学生に出くわすと、ちゃんとした言葉使いに接して捨てたものではないと思うが、やがて彼女たちも言語汚染されて情緒豊かで奥深い日本語から遠ざかってゆく。


長年日本に住む「外国人から見た変な日本語」というエッセイを読んだ。彼女に言わせると「結構です」という否定か肯定か分からない言い回しは“Wonderful, No problem  ,No thank you ,Quiteの四つの語彙があるという。
もともと「結構です」に否定の意味はなかったのに、否定的な「結構です」は必ず相手からの提案に対してのもの、つまり「提案」に対して「遠慮」しているから否定になるのだと言う。


私も「結構!」というと妻が「Yes or No?」と切り返してくる。「状況から判断しろ!」などというと喧嘩の糸口にすらなる。
「結構毛だらけ、猫灰だらけ」の「結構」はどのパターンなのだろう?



私が会社時代に良く使った曖昧言葉を思い出すとこれはいずれもYes,Noか分からない表現であるが、相手を傷つけない配慮を含めて今でもお役所言葉として乱用されている
「可及的速やかに」「鋭意努力します」「寝耳に水です」「粛々と進めます」「最大公約数的な意見」など典型である。最近は有名になった「近いうちに」が加わった。
「可及的速やかに」にと「近いうちに」はどちらが期間的に短いのだろう。議論するだけばかばかしい。

余談ながら以前に社長がこんな有様では会社が潰れると云い、5w(who,when,where,what,why1H(how)による報告書、意見発表を求めるようになり、言語は事実に基づくデータに限られることになった。これでM&Aでどんな社風の会社と一緒になっても統一された企業文化として定着したように思う。



「とか」「みたいな」「~的には」のような語尾不明瞭なぼかし言葉は日本語の曖昧さ加減とは種別が違うような気がするのだ。

「馬鹿じゃないみたい、ねーそうとか思わない」・・・・・結局自分が馬鹿だということ
「新宿とか行って、映画とか観て、お茶とか飲んで、電車とか乗って、家とか帰って、ゲームとかして」・・・・・寝るとかしないのか

「僕的には気持ち的には貴社とかに入れたら」・・・・・・すぐ落ちるね。


丁寧語、謙譲語の「いただきます」も乱発されていていただけない。
「このチケットを買っていただき(け)ますか。」「折角ですから買わさ(さは不要)せていただけ(き
ます」
2割引きで如何でしょうか」「今支払わせていただきます」「お釣りがないので結構です」
「ではそうさせていただきます」・・・・  結局いつ払うのか、ただなのか

「可及的速やかに検討させていただき、国民の皆様のご理解をいただき、選挙でその信をいた
きたいと思います」・・・・これではいただけないのだ(野田)。



「お」「ご」の敬語の使い分けで前出の著者は「お」は主として「お祝い」「お悔やみ」のように和語につき、「ご」はご挨拶、ご出席のように漢語につくと云う。


一応のルールだと思うが、おビール、お酒、お味噌汁、お魚、お肉、ごはんなど例外も多い。飯は「めし」であって「おめし」とは言わない。

丁寧語の「お」がつくと意味が分からなくなるものもある。「奈良漬け」→「お奈良漬け」は臭くて食べられないが、「ちんちん電車」に「お」をつけるとどんな電車なのか乗ってみたくなる。何故わざわざ「おトイレ」と云うのだろう。「おねしょ」は何故「ねしょ」ではないのだろう。寝所でするものだからかもしれない。


スーパーなどに行くとマニユアルが如何におかしいかと気付く。
「ポイントカード大丈夫ですか」・・・・まだ壊れていないが
「一回払いで大丈夫でしょうか」・・・・500円なのに大丈夫ではないと云ってみたくなる
1万円からでよろしいでしょうか?」・・・・ ダメといったらどうするのだろう
「お箸は何膳お付けしますか」・・・・  一人前の寿司なのに
「外では雨が降っていらっしゃるので雨の日ポイントをお付けします」・・・・ また雨の降っていらっしゃる日に来いということか


「大丈夫」というのは広辞林によると「堅固なさま、危なげないさま」が主意であるが、最近はそれ
でよろしいでしょうか」の曖昧な意味になり、問いかけにイエスかノーかとっさに返答に窮すること
がある。
「ご注文の方は大丈夫でしょうか?」「まあね、とりあえず」とこちらも呆けた返事になる。


「ら」抜きは完全に常態化した。見られる。食べられる。来られる。受けられる。止められる。
などすべてできるという意味合いであるが「ら」を抜くので日本語の文法的な表現が不可解となる。
わざわざTVの字幕で正しい言い回しに修正しているのは意味を取り違えるからである。


Gの優勝パレードで「ここからならAが見れますよ。向こうもこっちを見れてます。見ていますよ」・・・一体どうなっているのか。


パソコンの転換ミスは我ながら傑作に出くわすことがある。
・根気良く待った甲斐があった →婚期良く待った甲斐があった
・これからはゆっくりと休息して下さい→これからはゆっくりと急速して下さい。
・私は描く仕事が一番です→私は隠し事が一番です。
・今日も写生に行きました→今日も射精に行きました
・からすのおかげでゴミが散乱しています→カラスのおかげでゴミが産卵しています。
・珍しく今夜は空いています→珍しく今夜は相手います。
・今度の絵画はひどい→今度の怪我はひどい
・羽佐間英二→狭間英痔  (狭い間に立派な痔が・・・・)


山中教授の「ノーベル賞は過去のことです」の名句に感動した。即妙のコメントとは言えいつも未来を見据えている偉大な研究者の姿を見た。
あのデブちゃんの「・・・だぜー」が何故流行語大賞なのか、評者の感度を疑うぜー。


子供の頃母が教えてくれた一節がありそれを覚えている
「お廊下のおタバコお盆におけつまずき遊ばすなと申すにおけつまずき遊ばす。それほどおけつまづき遊ばしたければおけつまづき遊ばしたいほどおけつまづき遊ばせ」
大奥ではこんな丁寧語でわけの分からぬやり取りがあったのだろうか。
ちなみに「廊下の灰皿につまづくなと言っているのにまたつまづいた。いい加減にしろ!」と怒られている様であろう。


「でんけんこんけんこんこられんけんこられられんけんこん」子供の頃諳んじたわらべ歌の一節である。単語は「けん」「こん」「れん」だけである。「そっちに行きたいのに事情があって行けません」 全く意味不詳でパソコンのワードはアンダーラインだらけである。



7月にイギリスへ10回目の旅をした。然しこれが最後とは思いたくない。
あれが最後の旅だったと振り返るときはあるだろうが。
もう2012年も終幕を迎え、マヤの暦も塗り変えられるが、地球上の不安は残る。
私的には主宰する水彩画の「みずき会」が10周年を迎えるが大丈夫と考えている。 


                         
今年も急ぎ足で暮れる。
「いたずらに過ごす月日の多けれど 道を求むる時ぞ少なき」
正に実感である。本当に取り組むべき時間をもう一度見つめ直してみたい。


二人の弟が言葉のプロなので、私も話し言葉や、文章つくりに興味があります。共通のDNAがあるようです。二人とも日本語の乱れを嘆いています。NHKでも正しい日本語を話せるアナウンサーやキャスターがいなくなりつつあるそうです。
 もともとミステリアスな日本語は進化ではなく退化して行くのでしょうか。
 俳優、俳人、エッセイスト、の小沢昭一が亡くなりました。早稲田時代に落研を創設し大隈講堂の地下の小劇場で噺を聴かせてもらいました。言葉の達人でもありました。
少し笑いのある「言葉の遊び」という副題で今年を明るく締めくくります。)