人生色々こぼれ話(2)
「少年時代」・・・①
私は13歳(小6の1学期)まで九州の炭鉱町で過ごした。“三池炭鉱に月が出た”で
有名になった黒ダイヤの街である。石炭産業の衰退と共に戦後は見る影もなくなった大牟田の町もその頃は活気に満ちあふれ、好況に沸き返っていた。
父は関東大震災の1923年に大学を卒業、三井鉱山に就職し翌24年に結婚してこの炭鉱町に赴任したことになる。T女学館を出て間もない新婚の母は“良かおなご死んでしまえ!
”と石を投げられ知る人もいない狭い社宅住まいで心細く泣いて暮らしたという。後々の気丈な母はこの辛苦に耐えてのことだったのかもしれない。
私は荒尾町万田という社宅街で生まれ育った。父が昇進する度に社宅を移り住んだ。小学校に進む頃には家にねいやもいて、庭に池があり、仔犬が走り回っていた。
父は労務関係の仕事で帰宅が遅く家族で夕食を共にすることは稀だった。その代わり日曜日はバスで15分ほどの大牟田の町に散歩と食事に連れて行ってくれた。時に映画に行こうといってエノケンヤロッパの喜劇に誘い出してくれるのだが、次第にもの足らなくなり、「愛染かつら」「浅草の灯」や「支那の夜」などを密かに観に行った。純真な少年の心は乱れて目は血走っていた。「風の中の子供」や「路傍の石」といった名作にも出会い心を打たれた。
「のらくろ」のシリーズ、「家なき子」「母を訪ねて三千里」「綴方教室」「リビングストン
の冒険」などを読み漁り心を燃やした。今思うと多感な少年だったのかもしれない。
世界のプリマドンナ「三浦環」は父の従姉妹だが、ある時「入江たか子」との蝶々夫人の共演で大牟田にやってきた。始めてお会いしたのだがその見事な風格と派手なコスチュームに圧倒されて一言も声が出なかった。高額なお子遣いを頂戴し(多分10円)びっくりしてお礼の言葉も失った。
「声」という字の色紙を父に残し風のごとく帰京して行った。やや色あせたその色紙は今も我が家に残っている。弟二人は揃って声のプロフェショナルだが、三浦環さんのDNAの影響に違いないと思っている。
少年時代には誰でも忘れられない出来事がいくつかある。しかも可なりの精度で記憶の中に蘇る。トンボ捕り今日は何処まで行ったやら・・・。友達と連れ立って鬼ヤンマや熊蝉を追いかけるのは夏の風物詩にも似ていて宿題を放り出して興じていた。
大きな樹の枝にとまって我が世の春を謳う熊蝉が見えるが網が届かない。鳴き終わるとションベンを引っ掛けて逃げるのが習性。どうしても捕りたい!今だと樹を登り枝に移って網を伸ばしたとき蝉は風の中へ、私は枝ごと地上に落下となった。何とそこは、畑の流動肥やしの壷の中、黄金漬けとなり、友達の手を借りて脱出する。
近くの1君の家で裸になり風呂で洗い流し、少し黄ばんだ下着やシャツの乾くのを待ち、友達3人で恐る恐る帰宅する。「H君のおっかさんは良かおなごばってんえすかけん」皆日頃そう言っていた。美人だけど怖いから・・・・ということ。
「みなよく来たね。お上がり」何の報告もお咎めもなし。冷えたスイカをたらふく食べて
「今日はほんなこつよか日ばい」とニコニコ顔で帰って行った。あのシャツや下着に2度と出会ったことはない。ミステリアスな話である。私にはほのかに漂う香りが残った。
もう一つは弟・正雄の落下事件。万田抗のN抗長の家には、室内ゴルフの練習場があった。
名だたるいたずらっ子の弟は、ねずみ小僧か丹下左膳のまねをして、瓦屋根をびょんぴょん飛び跳ねて走り回るうちに、痛んだ屋根を突き破り地上5mほど落下。そこはゴルフ練習場の中である。天井に厚地のキャンバスが張ってあったのが幸いしてバウンドして軟着陸となった。落雷まがいの大きな音がして、救急車で病院へ。本人は無傷でも上役の家を傷つけた、母の心の傷も深かった。
家の近くに、駄菓子屋があり、焼き芋の匂いがぷんぷんと漂う。甘納豆の小袋を買うと
大きな袋が当たったりする。夏の日の冷たいラムネの喉ごしは忘れない。でも我が家は買い食いご法度である。
その頃東京からきたS君はいつもお小遣いに事欠かず羨ましかった。早速仲良くなって、母の目を盗んで駄菓子や通いをした。或る日ねいやに見つかり口止めに高級な大牟田饅頭で買収は成功。私はS君が石の影に設置した野外金庫の在りかを知っていたけど決して盗掘したことはなかった。
その駄菓子屋の隣は馬車やである。四つ山という隣の鉱山まで通う重要な交通手段である。
6人乗りほどの馬車で行く暫しの旅は嬉しかった。母は女学校の後輩Yさんのお宅に何度も連れて行ってくれた。美人のオバサンに可愛がってもらった。今をときめくジャズピアニスト・山下洋輔の実家である。その姉のM子さんは今でも弟・道夫の芝居や、私の絵画展を見に来てくれる。
「虚空蔵」さんというお宮の縁日にその馬車で行くのが格好良かった。“コクゾサン参りは
宮本馬車で行こうよ 何処を向いても菜の花盛り・・・・・・“と『野崎小唄』の自作の替え歌を口ずさみながら。 以上
(このエッセイは好評のようなので、毎月1日、15日ころ掲載します)
自己紹介:東京都出身、横浜市金沢区在住、 2002年、金属製造業の会社を退職後、かねてより趣味の水彩風景画に特化し多くの画家からの啓発を受けながら、ブラッシュアップに努めています。 イギリスをはじめ欧米各国の町や村を訪れ旅の道すがらスケッチ・水彩を楽しみました。 2002年、日曜画家集団の「チャーチル会ヨコハマ」に入会し、今は幹事長を仰せつかっています。2004年1月に自身で主宰する水彩風景画教室「みずき会」を立ち上げ現在に至ります。 2011年2月に油彩を描く妻と「水と油の夫婦展」を横浜で開催し、お蔭様で画廊新記録となるご来場をいただきました。併せて念願の「水彩風景画集」を発刊しました。 コーラスを愛好し会社時代には、合唱団に所属、併せて外部の某セミプロ合唱団も手伝い、仕事の合間を見つけて公演活動に励みました。 2009,2010年は40年ぶりに横浜交響楽団と「第九」を歌いました。スポーツは、学生時代はバレーボール、スキー、後年はゴルフですが、今は絵に集中しています。
2011/06/25
2011/06/13
人生色々こぼれ話 (1) ~社会人一年生
人生色々こぼれ話(1)
「社会人1年生」
娘や孫に促されて、越し方を振り返りこぼれ話を綴ることにした。もうそろそろ思いつくことを書き留めておかないと、記憶が霞んでは間に合わないとの思惑かもしれない。
然し確かに後世に残す大事な作業の一つかなと思うようになった。出てくる話は僅か半世紀強の時系でしかないのに、そこには激動の時代背景が重なり、今の世の中からは想像の出来ない自由闊達で、情緒的、貧乏でも温かく人情に満ちた人間の営みがあったように
思い返される。
先日孫のshunが始めてのお給料(本人はお給金と称している)を頂いたので妻共々夕食
をとのお招きを受けた。嬉しい話なので喜んでその饗応を受けることとなった。
昨日までの学生気分は拭い去られ、社会人としての自覚満々で希望に満ちた明日を約束する彼の言動に驚きを禁じえなかった。彼が入社したO社は業界では名門、そして人間尊重の経営を貫いているクラシックな会社だけど、12,000人のエントリーから選ばれた12人のエリートの一人らしく、その誇りある語り口にしばし耳を傾けた。
私はひそかに60年前の私を想起していた。花の28年組と騒がれていたけど、失業者は町に溢れ企業倒産続出の大不況の最中にあった。吉田茂の「バカヤロー」解散の年である。
会社は今の「三井金属鉱業」、父の勤めた「三井鉱山」の非鉄部門ともいえる財閥系の会社
に身を置くこととなり、その時の母の喜びようは今でも忘れない。亡父の仏壇に日々報告をしていたようだった。何しろ会社と言えば三井しか頭になかった母の思いを充たしたのだから私も無形の親孝行をしたことになる。
本当は新聞、報道関係に入りたくてトライしたのだが、朝日新聞、NHKとも願いは叶わず、三井という傘のもと、堅実、質朴の明日に向かって1歩を踏み出した。
初めての職場は北区王子に在った(今は埼玉県上尾市)圧延工場の製品出荷の倉庫係だった。銅の板や真鍮の棒を、日立や東芝などの需要家と問屋在庫用に送り出すための伝票書きの仕事である。出荷が終わると、日計表の作成、明日の出荷予定表の作成など繰り返しの日々で、たちまち5月病に罹患してしまった。そろばんは苦手で残業が当たり前、体もくたくたで工場内の診療所でザルブロという静脈注射を打つ毎日だった。看護婦のKさんがやけに親切だったことだけを覚えている。
学生の時から所属していたS合唱団の活動も盛んで日曜日は殆ど三軒茶屋に出かけ練習に明け暮れていた。第九を暗譜する作業もあり音楽も闘いに似ていた。
当時私は新宿区戸山町のぼろ小屋に居を構え(このあたりの話は後日に)早稲田から王子の神谷町まで都電で通勤していた。32系統で早稲田―面影橋―学習院下を経て雑司が谷-巣鴨―飛鳥山―王子まで、そこで27系統の赤羽行きに乗り換え工場のある神谷町まで1時間近くを掛けてのんびりの電車通勤だけがゆとりの時間だった。
早稲田から大塚辺りまで乗るOGが気になっていたのだがある日からぱったりと会わなくなった。父の転勤でどこかへ、もしやお嫁になどと想像を巡らせていた。
今でも最後の都電として早稲田から三ノ輪橋までこの区間だけが運行しているのは懐かしく、ワンデイトリップに出かけてみたいと思う。
間もなく、私には事務労働は不向きと思われたのか、人事的なローテーションのためか
年明けを待たず、経理課に転ずることとなった。質の違う忙しさが待っていたが、仕事は
面白くなった。ネガティブからポジティブへの転換を感じた。先輩諸氏も親切に指導してくれた。私も本を買って実務的な勉強をした。
俄かに文化人になったような気分で、先輩との飲み会にも加わった。近くの小便臭い喫茶店で話に興ずる日々も少なくなかった。このメンバーに後に娘の名付け親となる自由人のTさんがいて、長い交流が始まった。絵を描くことを教えてくれたのも彼だった。「山の友よ」という山男の歌は彼の作詞、作曲でダークダックスのレパートリーとなった。
Nさんは釣り狂で、誘い合って山に岩魚、ヤマメ釣りに出かけた。鉄橋で電車に出くわしたり、引掛かつた糸を外そうと登った木から川に落ちたり、熊の足跡を見つけたり、武勇伝は少なくない。後年家庭を顧みず釣りに熱狂したためか、妻は娘を連れて私の実家に家出をする始末であった。
冬のスキーは良く出かけた。上野初23時50分上越回り米原行きの夜行に飛び乗り、早朝石打に着き,仮眠をして、1日滑りまた夜行で帰る等の今では考えられない荒業が良く続いたものだと思う。妻とのロマンスはリフトのロマンスシートで芽生えたとの美談が伝えられている。
初任給8,000円(孫の4%弱)は殆ど飲代と野外の行楽で消えた。然しこうしたお付き合いで次第に人脈は厚くなった。仕事だけの虫にならないで、この、時代を超えて良く遊んだことは私の人生の糧になったように思っている。文武両道とはいかないまでも、忙中閑ありの構えが備わったのは経理課の自由で風通しの良い雰囲気のおかげと感謝している。恵まれた社会人としてのスタートであったが、約1年後に結婚する時、貯金ゼロ、で家賃4000円の負担は大きく共働き生活が始まるのは止むを得ぬとしても、家計のバランスから月300円の10畳一間の木賃宿以下の家族寮に移り住むことになった。台所もトイレも共用でスイートホームとは程遠いものであった。
電気洗濯機を買って、我が家が特権階級のように見られたあの頃が懐かしい。
家族寮入居者は、その実績で1年後優先的に新築の集合社宅(浦和)に移れることとなった。
以上
「社会人1年生」
娘や孫に促されて、越し方を振り返りこぼれ話を綴ることにした。もうそろそろ思いつくことを書き留めておかないと、記憶が霞んでは間に合わないとの思惑かもしれない。
然し確かに後世に残す大事な作業の一つかなと思うようになった。出てくる話は僅か半世紀強の時系でしかないのに、そこには激動の時代背景が重なり、今の世の中からは想像の出来ない自由闊達で、情緒的、貧乏でも温かく人情に満ちた人間の営みがあったように
思い返される。
先日孫のshunが始めてのお給料(本人はお給金と称している)を頂いたので妻共々夕食
をとのお招きを受けた。嬉しい話なので喜んでその饗応を受けることとなった。
昨日までの学生気分は拭い去られ、社会人としての自覚満々で希望に満ちた明日を約束する彼の言動に驚きを禁じえなかった。彼が入社したO社は業界では名門、そして人間尊重の経営を貫いているクラシックな会社だけど、12,000人のエントリーから選ばれた12人のエリートの一人らしく、その誇りある語り口にしばし耳を傾けた。
私はひそかに60年前の私を想起していた。花の28年組と騒がれていたけど、失業者は町に溢れ企業倒産続出の大不況の最中にあった。吉田茂の「バカヤロー」解散の年である。
会社は今の「三井金属鉱業」、父の勤めた「三井鉱山」の非鉄部門ともいえる財閥系の会社
に身を置くこととなり、その時の母の喜びようは今でも忘れない。亡父の仏壇に日々報告をしていたようだった。何しろ会社と言えば三井しか頭になかった母の思いを充たしたのだから私も無形の親孝行をしたことになる。
本当は新聞、報道関係に入りたくてトライしたのだが、朝日新聞、NHKとも願いは叶わず、三井という傘のもと、堅実、質朴の明日に向かって1歩を踏み出した。
初めての職場は北区王子に在った(今は埼玉県上尾市)圧延工場の製品出荷の倉庫係だった。銅の板や真鍮の棒を、日立や東芝などの需要家と問屋在庫用に送り出すための伝票書きの仕事である。出荷が終わると、日計表の作成、明日の出荷予定表の作成など繰り返しの日々で、たちまち5月病に罹患してしまった。そろばんは苦手で残業が当たり前、体もくたくたで工場内の診療所でザルブロという静脈注射を打つ毎日だった。看護婦のKさんがやけに親切だったことだけを覚えている。
学生の時から所属していたS合唱団の活動も盛んで日曜日は殆ど三軒茶屋に出かけ練習に明け暮れていた。第九を暗譜する作業もあり音楽も闘いに似ていた。
当時私は新宿区戸山町のぼろ小屋に居を構え(このあたりの話は後日に)早稲田から王子の神谷町まで都電で通勤していた。32系統で早稲田―面影橋―学習院下を経て雑司が谷-巣鴨―飛鳥山―王子まで、そこで27系統の赤羽行きに乗り換え工場のある神谷町まで1時間近くを掛けてのんびりの電車通勤だけがゆとりの時間だった。
早稲田から大塚辺りまで乗るOGが気になっていたのだがある日からぱったりと会わなくなった。父の転勤でどこかへ、もしやお嫁になどと想像を巡らせていた。
今でも最後の都電として早稲田から三ノ輪橋までこの区間だけが運行しているのは懐かしく、ワンデイトリップに出かけてみたいと思う。
間もなく、私には事務労働は不向きと思われたのか、人事的なローテーションのためか
年明けを待たず、経理課に転ずることとなった。質の違う忙しさが待っていたが、仕事は
面白くなった。ネガティブからポジティブへの転換を感じた。先輩諸氏も親切に指導してくれた。私も本を買って実務的な勉強をした。
俄かに文化人になったような気分で、先輩との飲み会にも加わった。近くの小便臭い喫茶店で話に興ずる日々も少なくなかった。このメンバーに後に娘の名付け親となる自由人のTさんがいて、長い交流が始まった。絵を描くことを教えてくれたのも彼だった。「山の友よ」という山男の歌は彼の作詞、作曲でダークダックスのレパートリーとなった。
Nさんは釣り狂で、誘い合って山に岩魚、ヤマメ釣りに出かけた。鉄橋で電車に出くわしたり、引掛かつた糸を外そうと登った木から川に落ちたり、熊の足跡を見つけたり、武勇伝は少なくない。後年家庭を顧みず釣りに熱狂したためか、妻は娘を連れて私の実家に家出をする始末であった。
冬のスキーは良く出かけた。上野初23時50分上越回り米原行きの夜行に飛び乗り、早朝石打に着き,仮眠をして、1日滑りまた夜行で帰る等の今では考えられない荒業が良く続いたものだと思う。妻とのロマンスはリフトのロマンスシートで芽生えたとの美談が伝えられている。
初任給8,000円(孫の4%弱)は殆ど飲代と野外の行楽で消えた。然しこうしたお付き合いで次第に人脈は厚くなった。仕事だけの虫にならないで、この、時代を超えて良く遊んだことは私の人生の糧になったように思っている。文武両道とはいかないまでも、忙中閑ありの構えが備わったのは経理課の自由で風通しの良い雰囲気のおかげと感謝している。恵まれた社会人としてのスタートであったが、約1年後に結婚する時、貯金ゼロ、で家賃4000円の負担は大きく共働き生活が始まるのは止むを得ぬとしても、家計のバランスから月300円の10畳一間の木賃宿以下の家族寮に移り住むことになった。台所もトイレも共用でスイートホームとは程遠いものであった。
電気洗濯機を買って、我が家が特権階級のように見られたあの頃が懐かしい。
家族寮入居者は、その実績で1年後優先的に新築の集合社宅(浦和)に移れることとなった。
以上
2011/05/16
第3回みずき会 作品集
こんな時期に単なるアマチュアクラブが展覧会を開いてどうなのか。被災地で辛い日々を重ねておられる方々に顔向けが出来るのか。お客様は来てくださるのか。余震への安全性は大丈夫だろうか。等反問することは少なくありませんでした。
結果は920名のお客様が見えて、かえって激励やら賛辞を頂きました。「とても爽やかで重い気分が晴れました」「絵がこんなに説得力も持つとは知らなかった」などの感想もありました。それは同時に私自身の実感でした。節電で暗い館内のアプローチを抜けると眩いばかりに輝くギャラリーがありホッとしました。
皆さんの技能の進化もさることながら、気持ちのこもったストーリーのある作品が多かったように思います。難局は続きますが、明るい気持ちを取り戻しながらこれからも楽しく絵を描きましょう。
皆さんの代表作品に簡単なコメントを添えました。
代表 羽佐間 英二
小さなパティオ
羽佐間 英二
ブロードウエイで見つけたおしゃれな空間です。石壁の淡いオレンジがかったアンバーと蔦のグリーンとの取り合いに目を奪われました。少し傾いた白と赤のオーニングの蔭に覗く窓辺を見たときこれはテーマになると思いました。
土屋 登志江
緑 陰
風景を単純化して、相対する家を主題に一気に動きのある絵を描き上げています。近景の樹木の大きさ、位置が適切で、その幹と白壁のコントラストが良い対比となっています。風の通り抜ける緑陰を感じます。充分に暗いところがあるので、もう少し道の影の表現を単純にあっさりと描いたほうがよいでしょう。
佐々木 志保子
刻の流れ
今にも夕立が来そうな空の雰囲気が見事に表現されています。偶然のにじみの効果が絵に味わいを添えています。モノトーン風に仕上がっていて、光る海や空を際立たせています。迫力と動勢を感じる良い絵です。遠景のシルエットにもう少し表情を。中景の客船はややあっさりと処理した方がこの風景には馴染むでしょう。題名いいですね。
吉岡 多枝子
私の好きな街
光の取り込み方が卓越しています。この絵の主題である赤いオーニングと店内の雰囲気が柔らかくとても良いタッチです。左空間を埋めるように歩く人物の取り入れ方も適切です。逆光のまぶしさを感じます。淡い影の入れ方が絵とマッチしています。画面中央の木が少し強すぎるので、やや左にシフトし空いた右の空間に街並みを描くと良いでしょう。
田中 良子
裏通り「馬車道」
馬車道とは思えないややうら寂しい裏道の表情をよく捉えています。長屋風の古びた小料理屋は充分 テーマになっています。右をカットした画面への入れ方も適切です。背景の処理も良いでしょう。
道のつき方、ビルの面の向き方に少し違和感があります。パースでのチェックを心がけましょう。
山中 良三郎
みなとみらい
近景の船とみなとみらいの対比が面白いし遠近感が出ています。画面を斜めに切っている船のロープが良い構成になっています。赤レンガをポイントに置くため周りを寒色の色合いで処理し透明感を与えています。水面の表現が少し強すぎる(空のトーンより明るくする)。赤レンガの色を水に反映させると良いでしょう。題名が単調です。
野呂 洋子
海辺の村
セピア色の建物と緑の対比がとても美しい。建物、海、船などもバランスよく構成されていて、遠近感を感じさせます。遠景の処理も良いでしょう。明るい空の柔らかなにじみはいつもながら見事です。
手前の船はやや曖昧です。主題の塔のある建物の周辺にローバリューの濃い色を使うと良いでしょう。
小林 御代
教会のある風景
中間調の淡い色使いが美しい画面を創り出しています。教会はもっと描き込みたくなるのに抑え気味に表現しているので柔らかなしっとりとした空間を感じさせます。自分なりの感じ取り方であまり拘らずスピーディに描き上げています。二本の樹木をもう少し強めに描くとより遠近が出ます。道が強調されすぎています。
土屋 久子
小さい橋のある村
絶好のスケッチポイントを気持ちよく纏めています。屋根を明るいオレンジ色に統一したので、緑とのハーモニーを感じます。左のシンボルツリーは大きさが表現されていて幹の質感も出ています。
やや川が上っているように感じます。二つの橋の間隔を縮めて川の形を変えると良いでしょう。
座間 泰江
九品仏の境内
構図が調っていて安定感のある絵です。山門に至る道と前後の樹木の間に覗く山門が程よく描かれています。山門の位置も的確です。樹木の葉は表情があり色合いも良いと思います。山門の左手前の黄色い草むらはポイントになっています。やや道が上って見えます。左側の道の傾斜を広げ少し山門を下げると良いでしょう。
金久保 美保子
馬のいる村
ユニークな狙いで率直,軽快に描けています。馬に乗っている凛とした女性を主題に捉えた構成が動きもあって面白いです。背景の川や建物をあっさりと処理しているのも適切です。淡い色調も場面にマッチしています。馬の形、手前の草の扱い方を工夫しましょう。今回はマットと額が絵と不釣合いでした。
田澤 郁子
早春の風
構成が良い。ごちゃごちゃした部分を省略し爽やかな風景にまとめています。こうしたイメージでスピーディに描き上げると良い印象の絵になります。家の大きさやトーンで遠近感も出ています。空をカットして画面いっぱいに描けています。緑の色合いが皆似すぎています。もう少し早春らしい色を入れてみましょう。ところどころの濁りは塗りすぎです。
朽方 佳乃
旧軽への誘い
樹木の間に見える建物の入れ方が良い。たて構図一杯に描いた紅葉の色合いも美しくタッチも柔らかな感じです。おしゃれなフィーリングと静けさが漂っていて目を引く作品になっています。
道が描き過ぎです。明るさを残すと周りとの調和が良いでしょう。この場合屋根も白抜きがベターです。家の陰側の壁はもう少し暗く。
谷保 幸子
初 秋
奥に見える建物と樹木の調和が取れて雰囲気が出ています。背景に見える建物の調子もこれでよいでしょう。手前から奥に行く遠近に工夫が必要です。道が立っています。右手前の樹木は大きく突き抜けるように描いてください。秋の色を少し加えてください。描き過ぎて濁らないように気をつけましょう。
小西 房枝
五彩池
バルトブルーのやや強めの色調と遠景の淡い山肌のトーンに差があって美しい広がりを見せています。池に動きが感じられるのも取り囲む風景の静けさからでしょうか。湖面を渡る風の音を感じます。中央手前の草は絵をつまらなくします。遠い山のふもとに部分的に暗い色があっても良いでしょう。地名だけではなく季節、時制、情景、感性等を表す題名にしてください。
天野 宏子
コッツウォルズの名残
中間色のウエット・イン・ウエットのハーモニーが美しい。樹木の繁みの重なり合い、家の配置など適切なコンポジションです。メルヘンチックな旅情を誘う作品です。いつもこんな伸びやかな気分で絵筆が取れると良いですね。樹木の幹を少し入れたり、丘の上の木を薄くしたり、花のボツボツを消したりしてみてください。
宮田 ちい子
初夏の風景
中央の橋をポイントに置いて、静けさの漂う空間を上手く描いています。全体の構成が整っています。大きな樹木の表現も勢いがあって良いでしょう。あまり説明していない中で、手前の水草だけが目に入ります。橋は白抜きにしてください。その周辺を含めてテーマになります。左の屋根の上に重なる樹木は家2軒とたての描写が過剰なのでこれを消すとすっきりした空間が生まれます。
柳澤 博
軽井沢の秋
池と樹木だけの単純な構成ですが、雰囲気を良く捉えています。描写もこの程度で適切です。紅葉が絵のポイントになっていて引き締めています。空と水平線が二分されているので思い切って上に上げて樹木を画面いっぱいに描いて大きさを強調し、池が広がった分そこに映る表情をたてのタッチでもう少し描き加えるともっと深みのある絵になります。あっさり描いてメリハリを、が課題です。
齋田 夏江
馬車道十番館
建物の質感と色調がとても良く描けています。中央の白いテラスとフランス国旗がこの絵のインタレストと感じて、周囲を暗く押さえその部分を強調しています。難度の高いモチーフに挑戦し風格のある建物に仕上りました。パースが少し狂っているところがあります。道が上り坂のように見えます。ポジションも少し下げたほうが落ち着くでしょう。題名が絵葉書的です。
高橋 雅美
旅で出会った町 1
絵の構成がとても良いです。アーリントンローはこのアングルが最も美しいでしょう。フットパスから家並みへの動線が絶妙なバランスで描けています。橋の形も的確です。橋の側面を暗くしてください。柵が長すぎるので奥のほうは切ります。水が流れる様子がもう少し表現できると動きも出てきて良いでしょう。この場合人物の入れ方は成功しています。背景の木の青さをもう少し押さえてはどうでしょう。
小塚 和代
追 憶
セピア色のモノトーンが静かな古い村の佇まいを良く表しています。構図が素晴らしく、パースも正しく描けているので奥行き感が出ています。道に降り注ぐ光と奥の暗さの対比が美しいです。4号サイズに上手く収まった珠玉の小品。モノトーンなので背景の樹木は筆先のムラタッチを白く残して少し小枝などを入れたほうが良いでしょう。サインの入れ方が良い。
内山 万枝子
アイ川にかかる橋
丁寧に気持ちよく描けています。透明水彩らしい色彩のハーモニーを感じます。橋の付き方、水に映る影など水辺の映り込みが美しく、テーマのはっきりした絵が出来あがっています。近景の草むらの表現もこの程度あっさりで充分です。屋根はもう少し明るくし、背景の建物を少し右に寄せます(建物を短く)。つれて奥の建物も右に寄せ、左の遠景の広がりを見せるとよりバランスが取れるでしょう。
石川 勝
早春の三渓園仏殿
光溢れるバックが美しい輝きを放っています。シルエット風に描いた仏殿とのコントラストが素晴らしい。仏殿の前の一本の木がポイントになっています。この明暗逆抜きのタッチは優れています。両側の柵はどちらかを省略した方がすっきりします。大屋根の付き方(左側面の形を)もう少しはっきりと見せたほうが良いでしょう。
2011/05/03
みずき会に寄せて
2004年1月に横浜山手を描く小さな集いとしてYY会が発足しました。私が前年9月に出展した「チャーチル会ヨコハマ」の絵画展で作品を見た数名の女性から、「こういう透き通った風景画が描きたい。是非指導して欲しい」と懇望されました。人様にお教えするほどのものではないとお断わりしたのですが、それでもと請われて、ではフリースケッチでも・・・と云って元町公園でスタートしたのが、現在の「みずき会」の生い立ちです。
それから、7年を経て、離合集散はありましたが、今は24名のメンバーで毎月第2、第4の水曜、木曜に写生教室を開いています。水、木から「みずき」というネーミングも生まれました。
絵は楽しんで描くこと、あまり強い自意識を持たないこと、そして絵を離れて仲間と触れ合うこと。たまには旅に出かけて心からリフレッシュすること。など私なりのスタイルで1度も挫折することなくここまで継続できたことは信じがたいことでもあります。
勉強をして、それをダイジェストできたら、教室の皆さんに技法としてお伝えする。私はプロの画家ではないからこそそれが出来ると考えています。本当の画家さんの場合は、差別化という言う意味で、自分の持っている秘めた要素を、なかなか伝えようとしません。
本を読めば済む様な、基本的な原理だけを繰り返し、後は自分自身がそこで描いている絵からハウツーを盗めと言わんばかりのレッスンプロが多いのも事実です。生徒さんの方も絵が進化しないのは、教えてくれない先生のお蔭と教室を渡り歩く人もいます。先生に転嫁すれば済むという話ではなく、やはり自分の気持ちの持ちようと絵と向き合う姿勢だと思います。
先生は地図と羅針盤は持っていますが、目標に向かって遠い道のりを歩いて行くのは自分自身です。 そして迷い道だらけの絵の道は、極限のない人生そのものであるような気がします。それがたとえのんびりとした趣味の領域であっても、一定の成果や達成感を伴ってこそ自分を知ることが出来ることとなります。
私はいつまで「みずき会」を発展的に維持できるか分かりません。然し今はまだ心、技、体のバランスが保てているようで、ストレスもありません。いつまでにどうしようという強い目標や目的は持たないようにしています。仮にそこに到着すると本当に完結したと錯覚するかもしれないからです。
今は嘗て私独りが釈迦力に気負ってやっていた時と違い、幹事会という機能があって、どんなことも知恵を出し合い、隔たり無く論議して,進路を決めています。私は極言すれば、技術職に専念すればよいわけです。然し休んだり,呆けたり、腕が落ちたりしてはその職を失うこととなります。それといつも大事にしているのは話術です。
私は教室の現場では絵を描きませんので、アドバイス、画評など言葉で伝えることが殆どです。 いつも言葉は起承転結で、できるだけわかり易く、大きな声で歯切れ良くを心がけています。この点はその道のプロである二人の弟から教わるところ大です。
昨年私にとっては10年ぶり9回目の「コッツウォルズへの12日間旅スケッチ」という偉業を成し得ました。しかもみずき会の皆さんを始め20人のグループで思い出に残る楽しい旅が出来たことは、私にとって画期的なことでした。未だやれるという自信を得たことです。そして宿願であった個展(水と油の夫婦展)へとコッツウォルズの作品を繋げることが出来ました。
この夫婦展は「みずき会」というかけがえの無いバックグランドとひたむきな皆さんのサポートがあってこそのものでした。やがて起きる空前絶後の出来事の直前であっただけに
本当にやれて良かったと感慨もひとしおです。
私の水彩画の原点はコッツウォルズの原風景です。いつ訪れても変わることなくそこに広がる優しい自然と古い家並みには、絵心をそそられずにはいられません。
19世紀初期の英国自然主義画家・ジョン コンスタブルが生まれ育ったイーストアングリア地方も忘れがたい風光に満ち、今なおコンスタブルが描いた当時の村が残っていて、私も旅で絵筆をとった場所です。
私はアルウイン クローショー、ジョン リジー、デビット ベラミー、デビット カーチスなどのイギリスの透明水彩画家の影響を受けながら自分の画風が出来上がってきたと思っています。
然し、私は最近アメリカのマリリン シマンドルという女流水彩画家の研究を続けています。若かりせば彼女の住むカリフォルニアのサンタ イネズに飛んでいってワークショップに入りたい気持ちです。技法書(英語版)やWebで情報を取りノウハウを習得中です。
勿論こんな方法でその域に及ぶことは不可能です。それでも少しでも彼女の水彩画に対する考え方、技法を理解しようとするプロセスが大事だと考えています。彼女の光と影の水彩画は私が蓄えている知識に付け加えるべき洞察と技法に満ちています。
私は自分なりに吸収したものをみずき会の皆さんに伝えて行こうと考えています。
これまで多くの作家の技法書や作品を見て、感動や啓示を受けてきましたが、また一つ仕上げと思えるような仕事が増えました。
2011年4月の「第3回みずき会水彩画展」の記録をWebサイトに公開します。代表作1点ですがどうぞ会員の皆さんの光り輝く作品をご覧ください。
2011年5月
羽佐間 英二
それから、7年を経て、離合集散はありましたが、今は24名のメンバーで毎月第2、第4の水曜、木曜に写生教室を開いています。水、木から「みずき」というネーミングも生まれました。
絵は楽しんで描くこと、あまり強い自意識を持たないこと、そして絵を離れて仲間と触れ合うこと。たまには旅に出かけて心からリフレッシュすること。など私なりのスタイルで1度も挫折することなくここまで継続できたことは信じがたいことでもあります。
勉強をして、それをダイジェストできたら、教室の皆さんに技法としてお伝えする。私はプロの画家ではないからこそそれが出来ると考えています。本当の画家さんの場合は、差別化という言う意味で、自分の持っている秘めた要素を、なかなか伝えようとしません。
本を読めば済む様な、基本的な原理だけを繰り返し、後は自分自身がそこで描いている絵からハウツーを盗めと言わんばかりのレッスンプロが多いのも事実です。生徒さんの方も絵が進化しないのは、教えてくれない先生のお蔭と教室を渡り歩く人もいます。先生に転嫁すれば済むという話ではなく、やはり自分の気持ちの持ちようと絵と向き合う姿勢だと思います。
先生は地図と羅針盤は持っていますが、目標に向かって遠い道のりを歩いて行くのは自分自身です。 そして迷い道だらけの絵の道は、極限のない人生そのものであるような気がします。それがたとえのんびりとした趣味の領域であっても、一定の成果や達成感を伴ってこそ自分を知ることが出来ることとなります。
私はいつまで「みずき会」を発展的に維持できるか分かりません。然し今はまだ心、技、体のバランスが保てているようで、ストレスもありません。いつまでにどうしようという強い目標や目的は持たないようにしています。仮にそこに到着すると本当に完結したと錯覚するかもしれないからです。
今は嘗て私独りが釈迦力に気負ってやっていた時と違い、幹事会という機能があって、どんなことも知恵を出し合い、隔たり無く論議して,進路を決めています。私は極言すれば、技術職に専念すればよいわけです。然し休んだり,呆けたり、腕が落ちたりしてはその職を失うこととなります。それといつも大事にしているのは話術です。
私は教室の現場では絵を描きませんので、アドバイス、画評など言葉で伝えることが殆どです。 いつも言葉は起承転結で、できるだけわかり易く、大きな声で歯切れ良くを心がけています。この点はその道のプロである二人の弟から教わるところ大です。
昨年私にとっては10年ぶり9回目の「コッツウォルズへの12日間旅スケッチ」という偉業を成し得ました。しかもみずき会の皆さんを始め20人のグループで思い出に残る楽しい旅が出来たことは、私にとって画期的なことでした。未だやれるという自信を得たことです。そして宿願であった個展(水と油の夫婦展)へとコッツウォルズの作品を繋げることが出来ました。
この夫婦展は「みずき会」というかけがえの無いバックグランドとひたむきな皆さんのサポートがあってこそのものでした。やがて起きる空前絶後の出来事の直前であっただけに
本当にやれて良かったと感慨もひとしおです。
私の水彩画の原点はコッツウォルズの原風景です。いつ訪れても変わることなくそこに広がる優しい自然と古い家並みには、絵心をそそられずにはいられません。
19世紀初期の英国自然主義画家・ジョン コンスタブルが生まれ育ったイーストアングリア地方も忘れがたい風光に満ち、今なおコンスタブルが描いた当時の村が残っていて、私も旅で絵筆をとった場所です。
私はアルウイン クローショー、ジョン リジー、デビット ベラミー、デビット カーチスなどのイギリスの透明水彩画家の影響を受けながら自分の画風が出来上がってきたと思っています。
然し、私は最近アメリカのマリリン シマンドルという女流水彩画家の研究を続けています。若かりせば彼女の住むカリフォルニアのサンタ イネズに飛んでいってワークショップに入りたい気持ちです。技法書(英語版)やWebで情報を取りノウハウを習得中です。
勿論こんな方法でその域に及ぶことは不可能です。それでも少しでも彼女の水彩画に対する考え方、技法を理解しようとするプロセスが大事だと考えています。彼女の光と影の水彩画は私が蓄えている知識に付け加えるべき洞察と技法に満ちています。
私は自分なりに吸収したものをみずき会の皆さんに伝えて行こうと考えています。
これまで多くの作家の技法書や作品を見て、感動や啓示を受けてきましたが、また一つ仕上げと思えるような仕事が増えました。
2011年4月の「第3回みずき会水彩画展」の記録をWebサイトに公開します。代表作1点ですがどうぞ会員の皆さんの光り輝く作品をご覧ください。
2011年5月
羽佐間 英二
2011/03/24
買溜め狂騒の終焉
本日23日、運動を兼ねて久しぶりに駅近くのヨーカ堂に行って見ました。ないものは無いほどで棚も満杯でした。お米は各ブランドが積み上げられているものの誰もキャスターに取込む人は居ません。
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。
出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。
この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。
さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。
これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。
毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。
この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。
「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。
29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。
5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
3月23日記
英二
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。
出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。
この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。
さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。
これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。
毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。
この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。
「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。
29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。
5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
3月23日記
英二
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