2004年1月に横浜山手を描く小さな集いとしてYY会が発足しました。私が前年9月に出展した「チャーチル会ヨコハマ」の絵画展で作品を見た数名の女性から、「こういう透き通った風景画が描きたい。是非指導して欲しい」と懇望されました。人様にお教えするほどのものではないとお断わりしたのですが、それでもと請われて、ではフリースケッチでも・・・と云って元町公園でスタートしたのが、現在の「みずき会」の生い立ちです。
それから、7年を経て、離合集散はありましたが、今は24名のメンバーで毎月第2、第4の水曜、木曜に写生教室を開いています。水、木から「みずき」というネーミングも生まれました。
絵は楽しんで描くこと、あまり強い自意識を持たないこと、そして絵を離れて仲間と触れ合うこと。たまには旅に出かけて心からリフレッシュすること。など私なりのスタイルで1度も挫折することなくここまで継続できたことは信じがたいことでもあります。
勉強をして、それをダイジェストできたら、教室の皆さんに技法としてお伝えする。私はプロの画家ではないからこそそれが出来ると考えています。本当の画家さんの場合は、差別化という言う意味で、自分の持っている秘めた要素を、なかなか伝えようとしません。
本を読めば済む様な、基本的な原理だけを繰り返し、後は自分自身がそこで描いている絵からハウツーを盗めと言わんばかりのレッスンプロが多いのも事実です。生徒さんの方も絵が進化しないのは、教えてくれない先生のお蔭と教室を渡り歩く人もいます。先生に転嫁すれば済むという話ではなく、やはり自分の気持ちの持ちようと絵と向き合う姿勢だと思います。
先生は地図と羅針盤は持っていますが、目標に向かって遠い道のりを歩いて行くのは自分自身です。 そして迷い道だらけの絵の道は、極限のない人生そのものであるような気がします。それがたとえのんびりとした趣味の領域であっても、一定の成果や達成感を伴ってこそ自分を知ることが出来ることとなります。
私はいつまで「みずき会」を発展的に維持できるか分かりません。然し今はまだ心、技、体のバランスが保てているようで、ストレスもありません。いつまでにどうしようという強い目標や目的は持たないようにしています。仮にそこに到着すると本当に完結したと錯覚するかもしれないからです。
今は嘗て私独りが釈迦力に気負ってやっていた時と違い、幹事会という機能があって、どんなことも知恵を出し合い、隔たり無く論議して,進路を決めています。私は極言すれば、技術職に専念すればよいわけです。然し休んだり,呆けたり、腕が落ちたりしてはその職を失うこととなります。それといつも大事にしているのは話術です。
私は教室の現場では絵を描きませんので、アドバイス、画評など言葉で伝えることが殆どです。 いつも言葉は起承転結で、できるだけわかり易く、大きな声で歯切れ良くを心がけています。この点はその道のプロである二人の弟から教わるところ大です。
昨年私にとっては10年ぶり9回目の「コッツウォルズへの12日間旅スケッチ」という偉業を成し得ました。しかもみずき会の皆さんを始め20人のグループで思い出に残る楽しい旅が出来たことは、私にとって画期的なことでした。未だやれるという自信を得たことです。そして宿願であった個展(水と油の夫婦展)へとコッツウォルズの作品を繋げることが出来ました。
この夫婦展は「みずき会」というかけがえの無いバックグランドとひたむきな皆さんのサポートがあってこそのものでした。やがて起きる空前絶後の出来事の直前であっただけに
本当にやれて良かったと感慨もひとしおです。
私の水彩画の原点はコッツウォルズの原風景です。いつ訪れても変わることなくそこに広がる優しい自然と古い家並みには、絵心をそそられずにはいられません。
19世紀初期の英国自然主義画家・ジョン コンスタブルが生まれ育ったイーストアングリア地方も忘れがたい風光に満ち、今なおコンスタブルが描いた当時の村が残っていて、私も旅で絵筆をとった場所です。
私はアルウイン クローショー、ジョン リジー、デビット ベラミー、デビット カーチスなどのイギリスの透明水彩画家の影響を受けながら自分の画風が出来上がってきたと思っています。
然し、私は最近アメリカのマリリン シマンドルという女流水彩画家の研究を続けています。若かりせば彼女の住むカリフォルニアのサンタ イネズに飛んでいってワークショップに入りたい気持ちです。技法書(英語版)やWebで情報を取りノウハウを習得中です。
勿論こんな方法でその域に及ぶことは不可能です。それでも少しでも彼女の水彩画に対する考え方、技法を理解しようとするプロセスが大事だと考えています。彼女の光と影の水彩画は私が蓄えている知識に付け加えるべき洞察と技法に満ちています。
私は自分なりに吸収したものをみずき会の皆さんに伝えて行こうと考えています。
これまで多くの作家の技法書や作品を見て、感動や啓示を受けてきましたが、また一つ仕上げと思えるような仕事が増えました。
2011年4月の「第3回みずき会水彩画展」の記録をWebサイトに公開します。代表作1点ですがどうぞ会員の皆さんの光り輝く作品をご覧ください。
2011年5月
羽佐間 英二

自己紹介:東京都出身、横浜市金沢区在住、 2002年、金属製造業の会社を退職後、かねてより趣味の水彩風景画に特化し多くの画家からの啓発を受けながら、ブラッシュアップに努めています。 イギリスをはじめ欧米各国の町や村を訪れ旅の道すがらスケッチ・水彩を楽しみました。 2002年、日曜画家集団の「チャーチル会ヨコハマ」に入会し、今は幹事長を仰せつかっています。2004年1月に自身で主宰する水彩風景画教室「みずき会」を立ち上げ現在に至ります。 2011年2月に油彩を描く妻と「水と油の夫婦展」を横浜で開催し、お蔭様で画廊新記録となるご来場をいただきました。併せて念願の「水彩風景画集」を発刊しました。 コーラスを愛好し会社時代には、合唱団に所属、併せて外部の某セミプロ合唱団も手伝い、仕事の合間を見つけて公演活動に励みました。 2009,2010年は40年ぶりに横浜交響楽団と「第九」を歌いました。スポーツは、学生時代はバレーボール、スキー、後年はゴルフですが、今は絵に集中しています。
2011/05/03
2011/03/24
買溜め狂騒の終焉
本日23日、運動を兼ねて久しぶりに駅近くのヨーカ堂に行って見ました。ないものは無いほどで棚も満杯でした。お米は各ブランドが積み上げられているものの誰もキャスターに取込む人は居ません。
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。
出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。
この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。
さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。
これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。
毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。
この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。
「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。
29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。
5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
3月23日記
英二
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。
出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。
この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。
さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。
これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。
毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。
この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。
「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。
29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。
5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
3月23日記
英二
2011/03/20
2011/03/16
鎮魂の海
三陸の海はこよなく美しく詩情に満ちています。白砂の海辺、切立つ断崖、何処までも続く松原、浮かぶ島影、そして港々の風情など、限りなく旅情を誘います。私は中でも石巻、牡鹿半島、志津川(南三陸町)気仙沼、陸前高田あたりの入り組んだ小さな湾の風光が好きです。幾度訪れても自然の織り成すモチーフに見飽きることがありません。
2011年3月11日、その日この穏やかな海は荒れ狂い、怒涛逆巻く濁流の中に平和な町と人々の暮らしを沈めて浚ったのです。私は日々伝えられる信じがたい惨状を見ながら、なんとも言えない喪失感に襲われています。余りにも無情苛酷な天災に何故?どうしてこの海が・・・と天を仰ぎ絶句しました。
津波は明るい町を押し流し、尊い人命を翻弄するように奪い、明日の希望までも消し去りました。余りにも重く辛い現実です。営々として築いた人々の軌跡と営みを瞬時にして壊滅してしまいました。私は廃墟のような惨状を見ながら何故か1945年、東京大空襲のそれと重ねていました。嘗め尽くす火の海に街は焦土と化し、青山当たりに従兄弟達の遺体を捜していた私を思い浮かべました。然し戦争は敗色濃い中で本土決戦を覚悟し、竹槍でも国の大事に殉じようとの悲壮な身構えがありました。この東北震災は、何のプロセスもなく人々の平和な営みを瞬時にして無残な地獄絵図に変えてしまいました。
何処まで災害規模が広がるのかはかり知れません。原発神話も脆くも崩れ去り世界に大きなショックを与えています。原子力政策の岐路ともいえます。経済的損失も30兆円超に及ぶかといわれています。
避難生活はやがて精神的、肉体的限界に来ます。地域の自治体が崩壊しているので、国や、健全な自治体が協力して、被災地別の援助MAPを作り積極的に対応すべきです。このようなときこそ霞ヶ関の賢いエリート達の出番でしょう。当面は生活物資の供給に全力を挙げるべきです。例えば孤立している南相馬町の叫びは何とも悲痛なものです。
世界の見る目は日本人の沈着冷静さへの驚嘆のようですが、耐えて待つ消極性の裏返しかも知れません。一方都会の人が買いだめに走り、わが身を守るのは生活の知恵としてある程度は理解できたとしても、被災地への補給に影響を与えることはあってはならないことです。後で処理に困るほど備蓄するのはナンセンスです。何処に行っても何もない現状は明らかに行きすぎです。
これは「天罰」だといった某知事の暴言は、取り消しようはないでしょう。本性見えたりです。このような知事に被災地への真の思いやりなどあるはずがないと思えます。100億の義援金もさることながら、松戸市のような心の通う暖かい対応こそが必要なのではないでしょうか。
私にも宮城には知人が数多くいて、まだ多くは安否確認が出来ません。その中で石巻に住む甥の家内の実家4名の一人が確認できたとの朗報が昨日もたらされました。 然し残る3名はまだ不明で不安は続きます。仙台市、村田町からは[一人づつ喜びの声が届きました。
つい1週間前の三陸の町や港はもう再び元の姿をとり戻すことはありません。この大震災は日本の歴史や明日の展望を変えてしまいました。
私事ですが2月下旬に開いたあの賑やかで華やいだ「夫婦展」がとても昔にあった出来事ように思い出されます。
美しい石巻湾、女川湾、志津川湾は元の静かな遠望を取り戻していることでしょう。どうか鎮魂の海となって、多くの犠牲者を葬い、復興の郷土を見守って下さい。
2011年3月16日記
2011年3月11日、その日この穏やかな海は荒れ狂い、怒涛逆巻く濁流の中に平和な町と人々の暮らしを沈めて浚ったのです。私は日々伝えられる信じがたい惨状を見ながら、なんとも言えない喪失感に襲われています。余りにも無情苛酷な天災に何故?どうしてこの海が・・・と天を仰ぎ絶句しました。
津波は明るい町を押し流し、尊い人命を翻弄するように奪い、明日の希望までも消し去りました。余りにも重く辛い現実です。営々として築いた人々の軌跡と営みを瞬時にして壊滅してしまいました。私は廃墟のような惨状を見ながら何故か1945年、東京大空襲のそれと重ねていました。嘗め尽くす火の海に街は焦土と化し、青山当たりに従兄弟達の遺体を捜していた私を思い浮かべました。然し戦争は敗色濃い中で本土決戦を覚悟し、竹槍でも国の大事に殉じようとの悲壮な身構えがありました。この東北震災は、何のプロセスもなく人々の平和な営みを瞬時にして無残な地獄絵図に変えてしまいました。
何処まで災害規模が広がるのかはかり知れません。原発神話も脆くも崩れ去り世界に大きなショックを与えています。原子力政策の岐路ともいえます。経済的損失も30兆円超に及ぶかといわれています。
避難生活はやがて精神的、肉体的限界に来ます。地域の自治体が崩壊しているので、国や、健全な自治体が協力して、被災地別の援助MAPを作り積極的に対応すべきです。このようなときこそ霞ヶ関の賢いエリート達の出番でしょう。当面は生活物資の供給に全力を挙げるべきです。例えば孤立している南相馬町の叫びは何とも悲痛なものです。
世界の見る目は日本人の沈着冷静さへの驚嘆のようですが、耐えて待つ消極性の裏返しかも知れません。一方都会の人が買いだめに走り、わが身を守るのは生活の知恵としてある程度は理解できたとしても、被災地への補給に影響を与えることはあってはならないことです。後で処理に困るほど備蓄するのはナンセンスです。何処に行っても何もない現状は明らかに行きすぎです。
これは「天罰」だといった某知事の暴言は、取り消しようはないでしょう。本性見えたりです。このような知事に被災地への真の思いやりなどあるはずがないと思えます。100億の義援金もさることながら、松戸市のような心の通う暖かい対応こそが必要なのではないでしょうか。
私にも宮城には知人が数多くいて、まだ多くは安否確認が出来ません。その中で石巻に住む甥の家内の実家4名の一人が確認できたとの朗報が昨日もたらされました。 然し残る3名はまだ不明で不安は続きます。仙台市、村田町からは[一人づつ喜びの声が届きました。
つい1週間前の三陸の町や港はもう再び元の姿をとり戻すことはありません。この大震災は日本の歴史や明日の展望を変えてしまいました。
私事ですが2月下旬に開いたあの賑やかで華やいだ「夫婦展」がとても昔にあった出来事ように思い出されます。
美しい石巻湾、女川湾、志津川湾は元の静かな遠望を取り戻していることでしょう。どうか鎮魂の海となって、多くの犠牲者を葬い、復興の郷土を見守って下さい。
2011年3月16日記
2011/03/06
「水と油の夫婦展」顛末記
2011年2月21日~27日 関内の「ガレリアセルテ」で開いた羽佐間英二・勝子の絵画展はお蔭様で予想を上回る盛況のうちに無事閉幕しました。来場者は1073名を数え画廊新記録となったようです。水彩の英二、油彩の勝子で「水と油の夫婦展」とネーミングしたのがユニークで洒落ているという前評判が立ち、興味をそそられた方が多かったようです。
新聞記事などの情報でお見えになった方が大勢居られました。
久しくお会いしていなかった昔の方々とも再会することが出来ました。期せずして絵を通しての触れ合いの場が広がりました。
計画して良かった。長いプロセスの苦労が報われたというのが偽らざる心境です。
私は昨年7月、10年ぶりにイギリスのコッツウォルズへ旅スケッチに出かけました。
20人のグループでの12日間の夢のように優雅な日々でした。この旅も絵画展のための大きなプロセスでした。時の流れを感じさせない田舎町の佇まいは懐かしく、思い出と重なり郷愁を誘うものでした。
この旅スケッチの作品は水彩17点の出展に及びましたがお蔭様で好評を博しすべて他家のご所蔵となりました。 ハニーカラーの家並みや石垣など暖色系の色合いと、澄み切った空気感の表現が評価いただけたようです。 暗い世相の中、暖かな和みとほのかな癒しを感じ取って頂いたのかもしれません。
妻勝子もコッツウォルズ風景を好んで出品しましたが評判を頂いたようです。
私たち夫婦にとっては再びめぐり来ないであろう「世紀の祭典」が終わり、今は心地よい疲れと、達成感の中で祭りの後始末をしています。
アルバムの表紙をクリックすると、絵画展の様子、全作品が見られます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この絵画展にあわせて、初めて水彩画集を作りました。絵画展に平行しての制作でしたので、編集や校正など大変でしたが、何とか絵画展の初日の発刊に間に合わせることが出来ました。67ページの中型の本ですが、この5年ほどの作品の集大成としてほぼ満足できる内容になったと思っています。巻末に私の水彩画暦と小さなエッセイを紹介しました。 ¥2000のプライシングも適切だったようで絵画展会場でも多くの方にお求め頂きました。 水彩グループの教本にも使えるとの有難いコメントも頂きました。
私は自身の主宰する「みずき会」という水彩風景画教室を持っています。このメンバーの皆さんの全面的な協力を得て絵画展の運営が出来ました。長女の美知もこのときとばかりほぼ連日サポートしてくれました。
「みずき会」はこの4月11日(月)~17日(日)の日程で、山下公園前の「県民ホール」の画廊で第3回の絵画展を開きます。23名の個性溢れる力作が展示されます。
私も小さな作品を賛助出品する予定です。
お時間がありましたらこの絵画展もどうぞご高覧ください。
以上
新聞記事などの情報でお見えになった方が大勢居られました。
久しくお会いしていなかった昔の方々とも再会することが出来ました。期せずして絵を通しての触れ合いの場が広がりました。
計画して良かった。長いプロセスの苦労が報われたというのが偽らざる心境です。
私は昨年7月、10年ぶりにイギリスのコッツウォルズへ旅スケッチに出かけました。
20人のグループでの12日間の夢のように優雅な日々でした。この旅も絵画展のための大きなプロセスでした。時の流れを感じさせない田舎町の佇まいは懐かしく、思い出と重なり郷愁を誘うものでした。
この旅スケッチの作品は水彩17点の出展に及びましたがお蔭様で好評を博しすべて他家のご所蔵となりました。 ハニーカラーの家並みや石垣など暖色系の色合いと、澄み切った空気感の表現が評価いただけたようです。 暗い世相の中、暖かな和みとほのかな癒しを感じ取って頂いたのかもしれません。
妻勝子もコッツウォルズ風景を好んで出品しましたが評判を頂いたようです。
私たち夫婦にとっては再びめぐり来ないであろう「世紀の祭典」が終わり、今は心地よい疲れと、達成感の中で祭りの後始末をしています。
アルバムの表紙をクリックすると、絵画展の様子、全作品が見られます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この絵画展にあわせて、初めて水彩画集を作りました。絵画展に平行しての制作でしたので、編集や校正など大変でしたが、何とか絵画展の初日の発刊に間に合わせることが出来ました。67ページの中型の本ですが、この5年ほどの作品の集大成としてほぼ満足できる内容になったと思っています。巻末に私の水彩画暦と小さなエッセイを紹介しました。 ¥2000のプライシングも適切だったようで絵画展会場でも多くの方にお求め頂きました。 水彩グループの教本にも使えるとの有難いコメントも頂きました。
私は自身の主宰する「みずき会」という水彩風景画教室を持っています。このメンバーの皆さんの全面的な協力を得て絵画展の運営が出来ました。長女の美知もこのときとばかりほぼ連日サポートしてくれました。
「みずき会」はこの4月11日(月)~17日(日)の日程で、山下公園前の「県民ホール」の画廊で第3回の絵画展を開きます。23名の個性溢れる力作が展示されます。
私も小さな作品を賛助出品する予定です。
お時間がありましたらこの絵画展もどうぞご高覧ください。
以上
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