2011/03/24

買溜め狂騒の終焉

本日23日、運動を兼ねて久しぶりに駅近くのヨーカ堂に行って見ました。ないものは無いほどで棚も満杯でした。お米は各ブランドが積み上げられているものの誰もキャスターに取込む人は居ません。
冷凍食品は半額セール中、普段より種類は豊富です。パンは山盛りでこれも特価。一時姿を消していたトイレットペーパーも現状回復。
帰路ガソリンスタンドを覗くと、従業員が暇そうにお客を待っています。
あの狂気の連鎖は終焉し、醒めた空気が漂っていました。

出荷制限のかかったほうれん草などは安全保証品として時折消費者の手が伸びていますが価格は30%割高です。ここには「わけあり」の廉価品はありません。基準値を超えるけど人体に影響はありません(現に政府はそういっている〕のレッテルを貼った商品を70%引きで売ってみたらと思います。第一毎日1年間ほうれん草を食べる人がどこにいますか。ポパイだって無理でしょう。

この1週間、毎朝並んで買い溜めした食料品や生活物資をご自宅で短期に消費するのは大変でしょう。固いパンや伸びかかった茹で麺をランプの光で食しても味気ないことでしょう。在庫投資は終わりました。後は早めに大量消費して(トイレットペーパー等は普段の3倍くらい使って)レギュラーな生活スタイルを取り戻しましょう。

さて被災地の現場には欲しいものと届けられるもののミスマッチが続いているといわれます。要は前線と後方部隊が上手くかみ合わないのだといいます。例えば避難所からの品目毎の注文リストが物資がプールされている自治体や流通倉庫などに出されて、それを原票にしておおよその配送計画を組み立てれば良いことだと思うのですが。

これまではガソリン不足が主因でしたが現状は実務の問題のようです。ボランティアの皆さんの活躍の場でもあるはずです。家庭ごみになるのではと思われる都会人の過剰在庫と、ライフラインの途絶えた劣悪な環境の中で生き抜くための最低のものが購えないこのギャップは何としますか。寒空の中、温かいものを涙を流しながらおいしそうに食べていた老夫婦の姿が目に焼きついて離れません。



毎日お目にかかる報道官をご存知でしょう。片や安全保安院の色黒の、のらくろみたいな人です。内容が分かりにくい上に活舌が最悪で肝心の説明が半分しか聞き取れません。もう一人は東電の説明者です。何となくにたついた、とっちゃん坊やです。紙ばかり読まないでこちらを見てメリハリをつけて話してください。

この二人には意訳する通訳が必要です。型にはまったアアウンスを平常語に置き直して簡潔に説明して欲しいものです。
消防庁や自衛隊の人たちは使命感に燃えて命がけで見えぬ敵と戦っています。
「日本の救世主になって」というリーダーの妻のエールには泣きました。
保安員(安全委員会)も東電も当事者なのです。お詫びの挨拶回りも心がこもっていません。「挨拶はいいから、とにかく早くやって」と返されていました。

「馬鹿といえば馬鹿」「遊ぼうといえば遊ぼう」・・・・・・「こだまでしょうか。」そして最後にAC♪(結構耳につく〕のCMには辟易しています。番組がスポンサーがつく内容ではないので、空いているコマの埋め草というのですが、昨日辺りから、やっと他のCMも入るようになりホッとしています。

29日選抜高校野球」が始まり久しぶりに平和な雰囲気を味わっています。
被災地にも届いていることでしょう。日本人の心のふるさとだし被災地にあって、町や村をあげて熱狂する場面もあることでしょう。プロ野球の開幕も近く心躍る日々が始まります。

5月は春爛漫の季節です。今年の花はひときわ美しさを競って咲き乱れることでしょう。
被災地にあってもお花見が楽しめるように、少しでも皆さんの笑顔が戻るように東北の春めく季節に祈りをこめます。
                        3月23日記   
                                 英二

2011/03/16

鎮魂の海

三陸の海はこよなく美しく詩情に満ちています。白砂の海辺、切立つ断崖、何処までも続く松原、浮かぶ島影、そして港々の風情など、限りなく旅情を誘います。私は中でも石巻、牡鹿半島、志津川(南三陸町)気仙沼、陸前高田あたりの入り組んだ小さな湾の風光が好きです。幾度訪れても自然の織り成すモチーフに見飽きることがありません。

2011年3月11日、その日この穏やかな海は荒れ狂い、怒涛逆巻く濁流の中に平和な町と人々の暮らしを沈めて浚ったのです。私は日々伝えられる信じがたい惨状を見ながら、なんとも言えない喪失感に襲われています。余りにも無情苛酷な天災に何故?どうしてこの海が・・・と天を仰ぎ絶句しました。

津波は明るい町を押し流し、尊い人命を翻弄するように奪い、明日の希望までも消し去りました。余りにも重く辛い現実です。営々として築いた人々の軌跡と営みを瞬時にして壊滅してしまいました。私は廃墟のような惨状を見ながら何故か1945年、東京大空襲のそれと重ねていました。嘗め尽くす火の海に街は焦土と化し、青山当たりに従兄弟達の遺体を捜していた私を思い浮かべました。然し戦争は敗色濃い中で本土決戦を覚悟し、竹槍でも国の大事に殉じようとの悲壮な身構えがありました。この東北震災は、何のプロセスもなく人々の平和な営みを瞬時にして無残な地獄絵図に変えてしまいました。


何処まで災害規模が広がるのかはかり知れません。原発神話も脆くも崩れ去り世界に大きなショックを与えています。原子力政策の岐路ともいえます。経済的損失も30兆円超に及ぶかといわれています。

避難生活はやがて精神的、肉体的限界に来ます。地域の自治体が崩壊しているので、国や、健全な自治体が協力して、被災地別の援助MAPを作り積極的に対応すべきです。このようなときこそ霞ヶ関の賢いエリート達の出番でしょう。当面は生活物資の供給に全力を挙げるべきです。例えば孤立している南相馬町の叫びは何とも悲痛なものです。


世界の見る目は日本人の沈着冷静さへの驚嘆のようですが、耐えて待つ消極性の裏返しかも知れません。一方都会の人が買いだめに走り、わが身を守るのは生活の知恵としてある程度は理解できたとしても、被災地への補給に影響を与えることはあってはならないことです。後で処理に困るほど備蓄するのはナンセンスです。何処に行っても何もない現状は明らかに行きすぎです。

これは「天罰」だといった某知事の暴言は、取り消しようはないでしょう。本性見えたりです。このような知事に被災地への真の思いやりなどあるはずがないと思えます。100億の義援金もさることながら、松戸市のような心の通う暖かい対応こそが必要なのではないでしょうか。


私にも宮城には知人が数多くいて、まだ多くは安否確認が出来ません。その中で石巻に住む甥の家内の実家4名の一人が確認できたとの朗報が昨日もたらされました。 然し残る3名はまだ不明で不安は続きます。仙台市、村田町からは[一人づつ喜びの声が届きました。

つい1週間前の三陸の町や港はもう再び元の姿をとり戻すことはありません。この大震災は日本の歴史や明日の展望を変えてしまいました。

私事ですが2月下旬に開いたあの賑やかで華やいだ「夫婦展」がとても昔にあった出来事ように思い出されます。

美しい石巻湾、女川湾、志津川湾は元の静かな遠望を取り戻していることでしょう。どうか鎮魂の海となって、多くの犠牲者を葬い、復興の郷土を見守って下さい。
  
                         2011年3月16日記

2011/03/06

「水と油の夫婦展」顛末記

 2011年2月21日~27日 関内の「ガレリアセルテ」で開いた羽佐間英二・勝子の絵画展はお蔭様で予想を上回る盛況のうちに無事閉幕しました。来場者は1073名を数え画廊新記録となったようです。水彩の英二、油彩の勝子で「水と油の夫婦展」とネーミングしたのがユニークで洒落ているという前評判が立ち、興味をそそられた方が多かったようです。

新聞記事などの情報でお見えになった方が大勢居られました。

久しくお会いしていなかった昔の方々とも再会することが出来ました。期せずして絵を通しての触れ合いの場が広がりました。

計画して良かった。長いプロセスの苦労が報われたというのが偽らざる心境です。



私は昨年7月、10年ぶりにイギリスのコッツウォルズへ旅スケッチに出かけました。

20人のグループでの12日間の夢のように優雅な日々でした。この旅も絵画展のための大きなプロセスでした。時の流れを感じさせない田舎町の佇まいは懐かしく、思い出と重なり郷愁を誘うものでした。

この旅スケッチの作品は水彩17点の出展に及びましたがお蔭様で好評を博しすべて他家のご所蔵となりました。 ハニーカラーの家並みや石垣など暖色系の色合いと、澄み切った空気感の表現が評価いただけたようです。 暗い世相の中、暖かな和みとほのかな癒しを感じ取って頂いたのかもしれません。

妻勝子もコッツウォルズ風景を好んで出品しましたが評判を頂いたようです。

私たち夫婦にとっては再びめぐり来ないであろう「世紀の祭典」が終わり、今は心地よい疲れと、達成感の中で祭りの後始末をしています。



アルバムの表紙をクリックすると、絵画展の様子、全作品が見られます。

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この絵画展にあわせて、初めて水彩画集を作りました。絵画展に平行しての制作でしたので、編集や校正など大変でしたが、何とか絵画展の初日の発刊に間に合わせることが出来ました。67ページの中型の本ですが、この5年ほどの作品の集大成としてほぼ満足できる内容になったと思っています。巻末に私の水彩画暦と小さなエッセイを紹介しました。 ¥2000のプライシングも適切だったようで絵画展会場でも多くの方にお求め頂きました。 水彩グループの教本にも使えるとの有難いコメントも頂きました。



私は自身の主宰する「みずき会」という水彩風景画教室を持っています。このメンバーの皆さんの全面的な協力を得て絵画展の運営が出来ました。長女の美知もこのときとばかりほぼ連日サポートしてくれました。

「みずき会」はこの4月11日(月)~17日(日)の日程で、山下公園前の「県民ホール」の画廊で第3回の絵画展を開きます。23名の個性溢れる力作が展示されます。

私も小さな作品を賛助出品する予定です。

お時間がありましたらこの絵画展もどうぞご高覧ください。

                                    以上

2010/07/19

2010年7月コッツウォルズスケッチの旅

2010年夏の思い出(イギリス旅スケッチ)

1、プランつくりに明け暮れる

至福の時は静かに流れこの旅も終わった。豊かな時間は何故かくも急ぎ足で過ぎるのか。華やかに始まった憧れの旅も何となく哀愁の余韻を残してその幕を引く。

もう何度も訪れたコッツウオルズは変わらぬ姿で優しく迎え入れてくれた。

一つ一つの景色を見ていると懐かしさがこみ上げてきて旅情溢れ出る想いである。

気持ちをこめて丁寧に作り上げた旅行計画であった。

この旅の計画は数年前に遡る。私は1994年から取り付かれたように7年間欠かさずにイギリス旅行を続けた。そのあとヨ-ロッパの国々を訪ねるのだが

どうしてもイギリス、とりわけコッツウオルズに勝るものはないとの思いが強くなる。イギリスの田舎の風景は透明感と空気感を伝える水彩画のためにこそあると思えてくる。

どうしてももう一度行きたい!風景のカットシーンが目の中に浮かび上がり郷愁を誘う。2009年春、「みずき会水彩画展」(私の主宰する水彩教室)が終わったところで思い立ちグループ旅行の形でのラフプランを作り始める。8月にはイギリスに強いワールドブリッジ社を訪れ具体的なマスタープランつくりに入った。この形で行こうと決めて秋にまず我が愛する「みずき会」に公表する。始めは12~13名くらいのつもりだったのが、“憧れのコッツウオルズへ夢のような旅を」のキャッチフレーズとゆとりの連泊プランがアピールしたのか、またたく間に18名、そして最終的には限界の20名に達した。

「羽佐間英二と行くイギリス旅スケッチ」のタイトルの下,幹事グループを結成しWB(ワールド ブリッジ)を交えながら何度もレビューを重ねプランを練り上げた。






旅のコンセプトは、ゆったりとした気分でコッツウオルズの田舎暮らしに浸ることである。生活感のない日々をのんびりと過ごすことである。

ホテルもトップクラスのスワンホテル(バイブリー)に3連泊、ローズ・オブ・ザ・マナー(ロウアー スローター)に5連泊と贅沢でエレガントなものである。そしてホテルの周辺でも安全、自由に絵が楽しめることを条件とした。


2、コッツウオルズで過ごした日々

私たちはコッツウオルズの美しくのどかな村々を訪ね気の赴くままに絵筆をとった。小鳥たちのさえずり、風の薫り、滴る新緑の深い彩り、清冽なせせらぎ、崩れかけた石垣、そして人が住んでいる遺跡のような家々。すべては時が止まったように変わっていないのだ。私たちは豊かでエレガントな時の中にしばし身も心も委ねた。

凛とした空気の中、朝食前の散歩は日課のように皆楽しんでいた。私はこの時間に出来るだけエスキスを描いた。人の気配のない崩れかけた路地裏を飾る花々が印象的であった。5時には明るく夜は10時前まで薄暮なので、一日が長いし、何よりも平均22℃、雨なしの日々は快適そのものであった。

4つの班を作りリーダーを決めて行動し、ホテルのお弁当を携えての野外写生はピクニック気分で楽しかった。風に乗って聞こえてくる日本語の響きは仲間達の語らいだろうか。こんな田舎町で時折日本の観光客の方と出会い会話を交わすのも旅の楽しみの一つと言える。

この場所、あの景色、そして梢に吹く風の音さえもあの時と同じと思えてくる。

時折ライムストーンの素晴らしいモチーフに for saleの看板が立っているのはそこに住む人の世代交代の故か。その家の歴史の一こまを感じる。


・ バイブリー(スワンホテル3泊)
アーリントンローと呼ばれる古い家並みは何も変わっていない(500年も変わっていないのだから)スワンホテルの前のコルン川の清冽な流れに鱒の群れが走る。300年前には領主の館であったバイブリーコートホテルの敷地内の橋を渡ると牧歌的な風景のフットパスを経て再びスワンホテルの前に出る。






4km程の行程だが30年前に安野光雅はここを訪れ周辺の絵を描いている。

私がスケッチをしていると出会った老紳士が得意げにそのことを話してくれた。


「汝もその類なるや、ひたすらここを描いて画家の道に励め」といった口調だった。ちなみにここバイブリーはウイリアム モリスが「英国で一番美しい村」として愛していたという。

私達の泊まったスワンホテルは名門。周辺の風景はなんとも美しい。朝方と人や車が居なくなる夕方が良い。夜はアウトドアラウンジでワンパイントのビールを傾けながら幹事会を開いた。広報係のIさんの発する夕刊はここでチェックを受け、夜半に各室に配達される。 後に今日は夕刊はないの?と問われるほど名を挙げた。

ある夜更けの出来事・・・・システム故障で全館に警報器のブザーが鳴り響きパジャマ、はだしで廊下や玄関に退避となる。 サプライズと言って笑って済ませないではないか!! 我がホテル係りのYさんは出だしから大忙しだった。

・ ペインズウイック

コッツウオルズの女王と呼ばれる丘の上の美しい村。気品のある落ち着いたパールグレイの色調で、ジョージアンスタイルの建築物が目を引く。一時間足らずの滞在であったが、、絵になるスポットが点在し泊りがけでスケッチしたい村である。





・ チェルトナム

バイブリー、ペインズウイックからここにやってくると大都会に迷い込んだような錯覚におちいる。ビクトリア様式の建物が整然と建っていて気品のある街並みが美しい。私たちは街の中央にある良く手入れされた「インペリアル・ガーデン」でスケッチを、そして夕食は中華料理を楽しむ。

・ アッパースローター(ローズ・オブ・ザ・マナー 5泊)

ホテル以外は何もないともいえる静かな村である。ローズ・オブ・ザ・マナー(後述)での優雅な5連泊だが、あっと言う間の日々だった。もう1、2泊位したかったほどである。本当にお絵描き三昧の日々だった。




木陰に憩いライムストーンの美しい家並みからその背景に遠く広がる緑の丘を眺めているとここはまさに別世界の景観である。

「イギリスのブヨは虫コナーズに寄ってくるよ」というと笑われたが、時折襲来を受けた。

この村のお祭りの日はフットパスを30分足らず歩いたところにあるロウワースロ-ター村で終日スケッチを楽しむ。アイ川のほとりにある小さな村であるがいつ見ても美しいと思う。私はあえて秋バージョンで仕上げてみた。


水車小屋があり、その周りに一軒の小洒落たショップがあるので、早くもみやげ物に興味を示す人もいる。泊まった「ローズ・オブ・ザ・マナー」は1620年に邸宅として建てられたものが現在ホテルとして使われているのだが、ハニーカラーの重厚な建物は周辺の風景に融け込みそのまま絵の構成となる。広大な庭園を早朝に散策しているだけで自然浴の心地よさを感じる。内装、調度も贅沢そのもの、壁掛けの風景画もポイントとなっていて目を楽しませてくれた。部屋の居心地も快適であった。我が家は時折幹事会の会場となった。

ディナーは私達の味覚にもマッチして美味であった。朝食や飲み物の注文もだんだん慣れてYさんのアシストなしで思うものが出てきたようだ。

“ポーチドエッグ、マッシュルーム、アンド ソーセージ プリーズ。バットノー マフィン“等と注文が出来るようになった。食べるものには真剣。素晴らしきかな。

お目当てのアフターヌンティーは、はてな?といった感じ。スタッフの皆さんは誠意をもって対応してくれたが、個人差があるように思えた。


然しスローター村での5日間はこの旅のハイライトとしただけの価値があった。
この優雅な時間と爽やかな空間は心に深く残りこの後も懐かしく思い出すに違いない。







・ チッピング カムデン

12世紀~14世紀にかけて羊毛の集配地として栄えた商業地である。町の中心に残るマーケットホールが当時の面影を伝える。ハイストリートは両側に

ライムストーンの家々がさまざまなデザインで立ち並んでいるが、駐車する車で遮られて美しい通りの全容が見えないのが残念。


珍しい茅葺き屋根の民家は絵にしても面白い。是非写真から描き起こしてみて欲しいモチーフ。







・ ブロードウエイ

広いなだらかな坂道のハイストリートの両側はお店が立ち並ぶ。私達はそれぞれ班ごとに分かれて、木陰やベンチから街並みや建物を描く。


Kさんが私の薦めたスポットを描いていたら、「オー ラブリー!ウエット イン ウエット」と賞賛してくれたと言う。時折海外の街なかで水彩を描く人に出会うので、私はポストカードを忍ばせていて差し上げたりする。

この街では絵よりまずはショッピングへと流れ出す方も多かった。我が班のI
さんは、いち早くパステルカラーの上衣をゲットしご機嫌であった。

陽射しの強い日ながら木陰は涼しく快適であった。建物の描き方簡易講座を開いたのも楽しかった。










・スタントン

ホテルに帰る途中に立ち寄る。殆ど観光客の訪れない知る人ぞ知る小さな静かな村である。

マウントインというパブの下まで歩いて数多くの写真を撮る。私は1999年に訪れているが、このマンホールの蓋の上から描いたとのピンポイントアングルを教える。誰かが「足跡が残っている」と即妙の反応。



アッパースローターで会ったショーファー(ハイヤーの運転手)がスタントンは自分の秘密の場所だと言っていた。この村は描きたい場所だったけど、20人は難しいし、トイレの心配もあるので写生地としては断念せざるを得なかった。

それでも大型バスを乗り入れてくれたことに感謝。


・スタンウエイ

人影一つない静かな村。美しい教会やジャコビアン様式の美しいスタンウエイハウスをバスの中から眺めて通り過ぎる。


・ ボートン・オン・ザ・ウオーター

この村を流れるウインドラッシュ川には五つの特徴的な橋が架かっていてどのアングルから描いてもバックの美しい家並みを取り込んだ叙情的な絵になる。

午後になると家族連れや観光客が押し寄せ一大観光地に変わる。かつてはオールドマンホテルというのに2泊して朝靄の美しい川辺を描いたことを思い出す。
この日も班別で小レッスンとなる。樹木の省略、橋と家のバランスが大事。今回は美しい建物を描く機会が多いのだが、相対的に画面への建物の取り込みが大きすぎるケースが目立ったようだ。ここはコッツウオルズのベニスと称するらしいが私はそうは思わない。共通するものは何もない。

・ バーフォード

1994年7月に私達夫婦がコッツウオルズを訪問した第1号の村である。

(オックスフォードからタクシーで20£であった)一直線に伸びる急坂に沿った街並みである。洒落た感じのハイストリートの上から眺望する遠景の丘陵がきらきらと輝いていて美しくスケールも大きい。街はアンティークの店やパブが立ち並び大人の匂いがする。ロンドンへのオン ザ ウエイなので30分の寄り道を思いつき頼んだのだが、好評で良かった。

どういうわけか、16年前同様に今回もこの村で家内のアクセサリーを求める事となった。前回は最初の日、今回は奇しくもコッツウオルズ最後の日であった。この村は横道にそれると、オープンガーデンの美しい家があったりして絵を描くスポットも多い好みの村で、私自身は3度目の訪問となった。



・ロンドン (ストランドパレスホテル  2泊)

もう何度も来て馴れっこのつもりでも喧騒と雑踏で眩暈がしそう。Uさんが「お伽の国からやってきたので・・・・」と言っていたけどまさに実感である。

ガイドさんのマニュアル的早口は日本語なのだが殆ど耳に入らず。

着いたばかりで今の状態を理解するのがやっとなのに、チェックアウト、出国と言われてもね。この夜はホテルでスターター&ビュフェスタイルであるが、ルームの一角を確保して貰い有難かった。地上に降りてきた感じで、一気に爆発して賑やかとなった。Tさん始め同席の方々がYさんや私にビールを振舞ってくれて、ほぼ終わったという安心感もあり、結構私もはしゃいでいたらしい。

翌日、皆さんは一日のオプショナルツアーに出掛ける。涼しい日でよかった。

私たち夫婦はコベントガーデン、ピカデリーサーカス、リージェントストリートと歩き、オクスフォードサーカスからタクシーでいつも出掛けるポートベローマーケットへ。映画「ノッテングヒルの恋人」(ジュリア ロバーツ・ヒュー グランド)の舞台となったあの本屋がお目当て。美術書をゲット。

コベントガーデンの有名な本屋 スタンフォーズにも立ち寄り紀行書(ここは世界の地図や紀行書が豊富)を求めた。おかげで重くてリュックはパンパン状態。

最後の晩餐の中華料理(チャイナシティ)はなかなかの内容で味もボリュームも好評だった。やっと「紹興酒」にも出会えた。この晩餐のヒットは大きい。

席上、皆さんから私や幹事さんに頂いた感謝の言葉とご芳情には感動あるのみ。

達成感と共に目頭が熱くなるを覚ゆ。 皆さん有難うございます。


3、皆さんからのコメント

帰国後皆さんから頂いたメールからの感想の一部抜粋です。掲載させていただきます。

・ 人生の一ページにこのようなシーンを与えていただいたことを心から感謝しております。

・ 美しい風景皆さんとの日々の語らい。楽しい思い出は生涯忘れないでしょう。

・ 絵本にあるような広々とした牧草地に羊が草を食んでいたり、古い石造りの家が建ち並び、彩り豊かな花があちこちに飾られていて本当に絵にしたくなる風景でした。私の絵はいまいちでしたが・・・・

・ 初めての海外でのスケッチ旅でしたがパッケージツアーにない手作りの旅の良さを満喫させていただきました。

・ 私の海外旅行で最もユニークで贅沢でそして充実してエンジョイした旅でした。出発前の綿密な計画作り、現地での臨機応変の対応、そして用兵の妙、これが今回の旅の成功のベースですね

・ 本当に忘れがたい素敵な旅を有難うございました。何から何まで行き届い

お心遣いに深く感謝しております。

・12日間の楽しかったイギリス旅行も、無事に元気に帰ることが出来ました。先生、幹事さんのおかげです。有難うございました。

・イギリス旅行では色々お世話になりました。この12日間のことはこれから先ずっと忘れられない思い出となるでしょう。

・ 楽しい11日はあっという間に過ぎてしまいました。もう数日、あの景色をただ眺めていたかったという思いです。

・ 飛び入りで希望がかなえられて本当に有難うございました。細かく心配りしていただいたおかげで、良い思い出の出来ましたことに御礼申し上げます。

・ 長年憧れのイギリススケッチの旅おかげさまで大満足でした。

・ おかげさまで楽しい旅に参加させていただき有難うございました。一生の思い出になります。

・ 先生のかねてからの一大事業成し遂げました。素晴らしいことです。あっという間の12日間でしたが、めったにない至福の時でした。


4、エピローグ

こうして振り返るとこの旅はもしかしてロンドン2泊をパスしコッツウオルズ(ボートンでもバーフォードでも)に2連泊して朝早起きでも良いからヒースローに向かうべきだったかなともレビューしている。

但しその場合は本格的なショッピングが出来ないという問題が残る。

かく言うほどに、コッツウオルズは麗しく香しい。牧歌的で詩情溢れるあの自然の風景や古き中世の家並みは、変わることなくいつまでもその姿をとどめ、私たちは記憶の中に蘇らせて想いを熱くするに違いない。さよならコッツウオルズ!また会えることを。

この旅の計画、推進に当たって、色々なリクエストに応え、最後まで真摯に対応していただいたWB社の栃木さん他スタッフの皆さんに改めて感謝します。

現地で素晴らしいガイドで旅を盛り上げていただいた佐々木ひとみさん お世話になりました。そして我が幹事団の皆さんの協力なしにこのプランはありえなかったことを、もって銘記します。 併せて見事に財政を運営してくれたYさんの力量に敬意を表します。               以上


・ 参加者 20名(男性4名、女性16名)
・ 出発  2010年6月28日(月)
・ 帰国     〃 7月9日(金)
・ オーガナイザー  羽佐間英二
・ 取り扱い旅行社  (株)ワールド ブリッジ